支笏洞爺国立公園【洞爺湖】編

支笏洞爺国立公園【洞爺湖】編

洞爺湖の形成と歴史、中島について

皆様、こんにちは♪今回は、北海道の美しい洞爺湖とその中に浮かぶ島について詳しくご紹介いたします。洞爺湖の成り立ちや歴史、そして中島の魅力に迫りますので、どうぞお楽しみください。

洞爺湖の形成と歴史

洞爺湖は北海道虻田郡洞爺湖(あぶたぐんとうやこ)町にございます。東西11k、南北9k、周囲は約43km、最も深いところは179mあり、車で一周する事が出来、約1時間ほどかかります。一周する間には、美しい景色や観光スポットが点在しており、ドライブが楽しめます。洞爺湖は透明度が高く、四季折々の風景を楽しむことができます。

カルデラとはスペイン語で「鍋」と言う意味で湖の底が鍋の底のようになっていることを現わし、火山の噴火後に地面が陥没してできた大きな凹地を指します。洞爺湖の誕生には、数回にわたる噴火が関与しており、その歴史をご案内させて頂きます。

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  • 約11万年前: 最初の大規模な噴火により、現在の洞爺湖のカルデラが形成されました。この噴火で生じた火山灰や溶岩流は広範囲に渡り、周辺地域の地形を大きく変えました。
  • 約4万年前: 続く噴火によってカルデラがさらに拡大し、現在の洞爺湖の形がほぼ完成しました。
  • 約5千年前: 洞爺湖の中央に位置する中島が形成されました。中島は、火山活動の結果生じた溶岩が湖面に突出してできた島です。

洞爺湖は、その成り立ちからして非常に地質学的にも興味深い場所であり、自然の力の偉大さを感じさせる風景が広がっています。

中島の詳細

中島は洞爺湖の中央に位置し、湖のシンボル的な存在です。中島は4つの島は大島、観音島、弁天島、饅頭島から成り立っています。上から見ますと、ドーナッツの形をしており、支笏湖同様、冬でも凍ることのない【不凍湖】です。

それぞれの島の特徴を詳しくご紹介します。

写真提供:中添雅仁さん【カメラ Canon EOS Kiss X4】 【レンズ:TAMRON400㎜望遠レンズ】場所:サイロ展望台より西に進んだ道路沿い

●大島: 中島の中で最も大きな島で、海抜455m湖の水面海抜が84mですから,大島の水面標高は381mになるわけで7つのドーム(安山岩の溶岩円頂丘)出来ております。

この島は長い間、トーノキシヌプリと呼ばれており、アイヌの人たちのユーカラ(言い伝え)や古事記に様々なお話が残されております。また、徳川幕府が文字のないアイヌの人たちの為に、この島に天満宮を祭ったこともあったそうです。

現在はクマゲラをはじめとする森林鳥やエゾシカの楽天地となっております。しかしこの島は禁漁区にのため、一時はエゾシカが増えすぎて昭和59年、90頭ほどを生け捕って、昭和新山の鹿公園に引き取ってもらいました。

大島の面積は約500ヘクタール、以前は笹が大変多く繁茂しておりましたが、鹿に食べつくされ現在は見当たりません。逆に鹿の嫌いなハンゴン草が大変増えております。

豊かな原生林に覆われていますが面白いことに、木々の葉が地上2mほどのところまでほとんどありません。同じ所からいっせいに葉がついているのも、ちょっと異様なながめですが、これも鹿が口の届く所まで食べてしまうからなのです。またこの島には森林博物館がございます。

観光客は遊覧船で島に渡り、自然散策を楽しむことができます。島全体が静寂に包まれ、野鳥観察やハイキングに最適です。

●観音島:洞爺湖に浮かぶ神秘的な島、カムイチセモシリは「神のいる島」という意味を持ち、その歴史や伝説には興味深いエピソードがたくさんあります。

大島の隣に位置する三角形の小さな島です。この島はアイヌの人々にとって神聖な場所とされており、アイヌ文化と深く結びついた歴史を持ち、その神秘的な雰囲気が訪れる人々を魅了します。

1667年から1673年の頃、北海道がまだ「エゾ」と呼ばれていた時代、円空上人という仏教僧がこの地を訪れました。円空上人は青森の三厩(みんまや)に義経寺を建て、その後エゾ地に渡り、2年間滞在したとされています。その滞在中にカムイチセモシリを訪れ、草庵を建て、アイヌの人々に宗教を伝えました。

円空上人はこの島で「なた作り観音像」を彫り、現在も観音島に安置されています。この観音像はアイヌの人々に信仰の象徴として大切にされています。

義経伝説神威岬
また、平安時代の武将である源義経もこの島にまつわる伝説があります。義経は兄頼朝に裏切られ、エゾ地に逃れたと伝えられています。義経は島の大村長ボロユクの助けを借りて再起を図ろうとしましたが、断られ、淋しく島を去りました。この伝説を元に、円空上人が義経の供養のために観音像を彫ったという説もありますが、真相は明らかではありません。

●弁天島:観音島の隣にある平らな島です。アイヌ語で「トップモシリ」と呼ばれ、二つある島、または、竹のある島という意味です。1855~1860年頃、三田弁六という人がこの島に厳島神社を建てました。

その後、昭和14年に再興された現在の朱塗りの厳島神社には縁結びの神、弁天様が琵琶を弾いているお姿がお祭りされており「あなた100までわしゃ99まで、共に白髪の生えるまで」と御利益あらたかと言うことです。

饅頭島: アイヌ語で「ポンモシリ」小さい島と言う意味です。自然そのままの姿が残されています。手付かずの自然を楽しむことができ、静かな時間を過ごすにはぴったりです。ただ、青大将が沢山すんでいる所から蛇島とも言われております。

中島全体が自然保護区に指定されており、その豊かな生態系を維持するために環境保護活動も行われています。訪れる際には、自然を尊重し、ゴミの持ち帰りなどのエチケットを守りましょう。

※エゾシカの繁殖期は10月から11月で大島から各島へ泳いで渡り戻るそうです。

写真提供:中添雅仁さん【カメラ Canon EOS Kiss X4】 【レンズ:TAMRON400㎜望遠レンズ】場所:洞爺湖温泉街側から少し東

四季折々の魅力

  • 春: エゾ山桜、そめい吉野、八重桜が咲き誇る季節、洞爺湖は花見スポットとして人気です。特に洞爺湖温泉街周辺は、桜のトンネルが美しく、散策するのに最適です。
  • 夏: 湖畔では多くのアウトドア活動が楽しめます。カヌー、ボート、釣りなど、水辺のレジャーを満喫できます。また、毎年7月から10月にかけて開催される「洞爺湖ロングラン花火大会」も見逃せません。
  • 秋: 紅葉が湖を彩り、その美しさは圧巻です。特に中島周辺の紅葉は絶景ポイントとなっています。「中島のおとめ林や初紅葉」と岩谷小波先生も、その美しさを認めたたえております。
  • 冬: 周辺の温泉が恋しい季節です。洞爺湖温泉や昭和新山温泉で、雪景色を眺めながらゆったりと温まることができます。

有珠山 – 北海道の活火山と観光ガイド

有珠山(うすざん)についてご案内いたします。有珠山は日本を代表する活火山の一つで、その歴史と現在の姿、そして観光の魅力をご案内させて頂きます。

室蘭側から→室蘭でも使っている写真です。自撮り

有珠山の歴史

有珠山は北海道の洞爺湖町に位置する標高737メートルの活火山です。その歴史は数千年前に遡り、多くの噴火を繰り返してきました。有珠山の噴火の中でも特に有名なのをご紹介させて頂きますと

明治43年の噴火: 大規模な噴火が起こり、多くの被害をもたらしました。この噴火では火山灰や溶岩流が広範囲に及び、周辺の地形に大きな影響を与えました。

明治新山、43から四十三(よそみ)山と呼ばれています。この時、洞爺湖温泉が湧くようになったとのことです。

昭和18年の噴火: 昭和新山が形成された噴火で、現在もその姿を保っています。昭和新山は、有珠山の東側に位置し、活火山の証として訪れる観光客を魅了しています。

●昭和52年の噴火:この噴火の前は、土瓶の形をした、大有珠、小有珠の夫婦有珠山が湖を前に仲良くそそり立っており、絵になる風景でございました。幸いなことに負傷者はありませんんでしたが、周辺の被害は農産物をふくめ、260億円にものぼりました。

また二次被害である泥流が温泉街の団地をおそい、お母さんの目の前で男の子がのみ込まれてしまいました。他2名、併せて3名の犠牲者が出てしまいました。

前兆が始まったのが、昭和52年8月6日、その30時間後の翌7日に大噴火が起こったのです。大噴火となった火口は小有珠の中腹で、噴煙は12,000mの高さに達し、翌8日には2回目、3回目大噴火が続き、14日明方まで、大小合わせて18回の噴火があり、15日ようやくおさまったのでございます。

と、いいましても体に感じる地震はその後も続き、人々は学校や公民館等に避難しました。この時の噴火によって吹き上げられた灰の量は7日から14日までの1週間の間で2億立方メートル・霞ヶ関ビル400杯分、空高く上がったので降った範囲も広く、約300k離れている網走方面まで及び、全道の約半分程の市町村の空をおおったのです。

赤ちゃんの頭ほどの軽石が空から降り、付近の住民は先を争うように避難先へと向かいました。降り積もった火山灰は雨に当たってセメントのように固まり、その重さのため周辺の木々は折れ、畑作物はその下で全滅状態になりました。

また、交通機関も昭和61年に全線廃止された旧国鉄胆振線の室蘭本線と、接続する伊達紋別と、函館本線と接続する倶知安との間を結んでいた83.0kmの路線が不通になった他、主要道路も相次いで通行止めになるなど、大混乱となりましたが、徐々に地震の回数も減っていき、長かった住民の忍耐に応えるように翌年の昭和53年5月、噴火以来実に10か月ぶりに安全宣言が出されたのでございます。

  • 平成12年の噴火: 最も最近の噴火で、この時も火山活動が活発化し、多くの避難者が出ました。現在も噴火口周辺では地熱活動が続いており、火山の力を感じることができます。2000年3月27日午後、有珠山周辺で地震が徐々に増加し始めました。そして28日、01:31頃に最初の有感地震が発生しました。

30日に山頂部や北西山麓に断層や地割れが生じ、次第に発達拡大しました。31日、地震活動のピークを迎え、13:07に西山西麓からマグマ水蒸気噴火が発生。火口周辺に噴石を放出し、噴煙は火口直上数百メートルまで上昇。

その後、北東側へ流され、高さ3,500mに達しました。風下の北東側では降灰が観測され、75km離れた千歳でも微量の降灰が確認されました。3月31日の噴火の噴出物量は24万トンに及びました。


4月1日11:30頃、金比羅山北西麓から噴火が始まりました。4月中旬まで、小規模な水蒸気噴火を繰り返し、西山西麓と金比羅山周辺に計65個の火口を形成しました。

西山西麓では4月1日から2日、金比羅山では4月2日から10日にかけていくつかの火口から熱泥流が発生しまし、4月中旬以降は 活発な火口は4つに限定され、西山西麓の火口、金比羅山北西麓の火口となりました。

西山西麓ではマグマ貫入により最大約80メートル隆起して潜在ドームを形成しました。8月以降に 西山西麓の隆起は沈降に転じ、各火口の活動は徐々に低下。しかしその後も空振を伴う噴石等の噴出が続きました。

岡田弘教授

昭和18年生まれで日本の地球科学者であり、北海道大学名誉教授です。専門は火山物理学、火山噴火予知、火山災害対策です。昭和52年に設置された北海道大学大学院理学研究院附属地震火山研究観測センターの有珠火山観測所で所長を務めました。

平成12年、有珠山噴火を的確に予測し、同年には「長年の有珠山研究に基づく火山噴火予知と防災活動への貢献」により、北海道新聞文化賞特別賞を受賞しました。

有珠山は体感地震を伴うため噴火予知が比較的容易ですが、岡田教授は単に予知するだけでなく、火山の静穏期から地元住民への啓発活動を行い、事前避難を促しました。また、自治体職員や防災機関と連携し、噴火期には的確な災害対策を助言しました。この活動が評価され、平成13年には防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞された方なのでございます。

現在の有珠山

現在の有珠山は、活火山としての地質学的な価値だけでなく、その美しい自然環境や観光スポットとしても知られています。有珠山ロープウェイを利用すれば、山頂まで簡単にアクセスでき、絶景を楽しむことができます。

ロープウェイでの観光

有珠山ロープウェイは、昭和新山の麓から山頂まで運行しており、約6分の空中散歩を楽しむことができます。昭和40年から営業されており、106人のジャンボゴンドラが往復しておりました。昭和52年の有珠山の噴火の被害を受け一時運休しておりましたが、地殻変動もおさまり噴火の恐れもなくなった昭和55年から復旧工事が行われ、昭和57年から再度運行を始めましたが、平成12年の噴火でまた運休、再開となっております。

ロープウェイからは、洞爺湖や昭和新山、そして有珠山の壮大な景色を一望できます。

  • 山頂展望台: ロープウェイの終点には展望台があり、洞爺湖とその周辺の美しい風景を360度のパノラマで楽しめます。晴れた日には、羊蹄山や内浦湾まで見渡すことができます。
  • 火口原展望台: ロープウェイ山頂駅から徒歩数分のところにある展望台で、有珠山の噴火口や地熱活動を間近で観察できます。噴煙が立ち昇る光景は迫力満点です。

歩いての観光

有珠山周辺には、自然を満喫できるハイキングコースが多数整備されています。

  • 外輪山トレイル: 山頂から外輪山を巡るコースで、全長約2.5kmの道のりを歩きながら、絶景を楽しめます。途中には休憩所や展望ポイントがあり、ゆっくりと散策できます。
  • 金比羅火口散策路: 昭和新山から金比羅火口へ向かうコースで、2000年の噴火の痕跡をたどることができます。火口周辺の荒々しい地形と、自然の力強さを感じることができるルートです。

※小学生の修学旅行などでは地元ガイドさんもおりますが、バスガイドがご案内させて頂くこともあります。

昭和の奇跡・昭和新山

壮瞥町(そうべつちょう)に位置し、洞爺湖(とうやこ)の近くにある火山です。

昭和18年の暮れも押し迫った12月28日、この辺りは激しい地震に襲われました。明治新山噴火から実に33年ぶりでした。この地震と共に始まったのが土地の隆起で、付近の村や広い麦畑が毎日少しずつ盛り上がり年も明けて昭和19年5月にはついに50mほどの丘になってしまったのです。

そして6月23日、ついにこの麦畑の丘の上に大爆発を起こしました。特に爆発の激しかった時などは、岩石が1キロ立方メートル四方にも飛び散り、幸い死傷者はありませんでしたが、裾野一帯の人々は恐怖の連続でした。

この爆発の間にも地面の隆起は続き、同じ年の12月、白煙をあげる山頂から三角の溶岩塔が現れ。昭和20年9月、周囲461m、標高405mの新山を形成し、活動を停止しました。その期間、僅か1年9か月の出来事でした。

この昭和新山が誕生したときは太平洋戦争の末期であったため、この地の変動を不吉なものとして、軍部では一切の報道を禁じました。ですから一般には知らされていなかった分、周辺の住民の打撃は大きく、復興にも多くの年月を要したのでございます。

火山はその出来方や形によって色々分類されますが、この昭和新山のように溶岩だけが固まって出来た山は、現在世界ではここ以外にはなく、昭和32年、国の天然記念物に指定されました。

その後、 「特別天然記念物」「日本の地質百選」「日本ジオパーク」「ユネスコ世界ジオパーク」という、多くの項目で認定されている火山です。それもあり、

現在の昭和新山

その独特な景観と地質学的価値から、多くの観光客を引きつけるスポットとなっています。

観光: 昭和新山の麓にはビジターセンターがあり、火山の成り立ちや地域の歴史について学ぶことができます。また、周辺には温泉施設やレストランもあり、観光客にとって快適な環境が整っています。

散策: 昭和新山周辺には散策コースが整備されており、山を間近に感じながら歩くことができます。火山活動の痕跡をたどりながら、自然の力を実感できる場所です。

イベント: 昭和新山では季節ごとに様々なイベントが開催され、観光客が楽しめる工夫がされています。特に夏季には花火大会やフェスティバルが開催され、多くの人々が訪れます。

三松正夫さんの功績

昭和新山の形成を詳細に記録し、その保護に尽力したのが三松正夫さんです。以下に三松正夫さんの重要な功績を紹介します。

昭和新山の買い取り: 昭和新山が硫黄の採掘などで荒らされることを心配し、三松正夫さんは自らの資金で山を買い取りました。

当時、彼は壮瞥町の郵便局長であり、青年時代に明治新山の誕生を経験していたため、その重要性を理解していました。

●記録活動: 戦時中にもかかわらず、三松さんは毎日丹念に昭和新山の状況を記録し続けました。フィルムが入手困難な時期には、絵を描いて記録を残しました。

この努力が実を結び、昭和22年にはノルウェーの首都オスローで開催された万国火山会議で「三松ダイヤグラム」として発表されました。

●温泉の発見: 三松さんは洞爺湖周辺の温泉も発見し、その地域の観光資源として重要な役割を果たしました。

三松正夫さんと昭和天皇

三松正夫さんは昭和天皇に昭和新山の成り立ちやその地質学的意義について直接説明する機会もありました。この説明により、昭和新山の重要性がさらに広く認識されるようになりました。

三松正夫さんの晩年

三松正夫さんは、昭和52年の有珠山噴火を見届け、同じ年の12月に亡くなられました。彼の功績を称えるため、昭和新山には彼がカメラを構える像が設置され、三松正夫記念館も開設されています。

昭和新山周辺の観光情報

駐車場情報

昭和新山周辺には多くの観光スポットが集まっており、便利な駐車場が整備されています。駐車場を利用する際には、一律500円の駐車料金がかかります。この駐車料金で、次の観光スポットをお楽しみいただけます:

各施設の入場には

駐車場代に加えて、各施設への入場には別途料金がかかります。それぞれの施設の魅力とともに、概要をお伝えします。

  • 三松正夫記念館: 昭和新山の成り立ちと三松正夫さんの功績を学べる記念館です。貴重な写真や資料が展示されています。
  • お土産屋さん: 地元の特産品や記念品が揃うお店です。観光の思い出にぜひ立ち寄ってみてください。
  • 食事処: 地元の新鮮な食材を使った料理が楽しめます。洞爺湖の美しい景色を眺めながら食事をお楽しみください。
  • クマ牧場: クマの生態を間近で観察できる牧場です。クマたちに餌をあげる体験もできます。
  • 昭和新山見学: 昭和新山の麓まで歩いて行き、その壮大な姿を間近で感じることができます。
  • 有珠山ロープウェイ: 昭和新山から有珠山の山頂まで運行しており、絶景のパノラマビューを楽しむことができます。

アクセス

※一般国道利用の場合

札幌~定山渓~中山峠~ルスツ~洞爺湖 約2時間~2時間半

函館~長万部(おしゃまんべ)~豊浦~洞爺湖 約3時間から3時間半

苫小牧~室蘭~洞爺湖 約1時間15分~1時間45分

室蘭~伊達~洞爺湖 約1時間

今回の写真は

平成22年現在と記載のパンフレットと言うよりは詳細で沢山の情報が掲載されている辞典のような冊子からで、その他は自撮り1枚と2枚が中添雅仁さん【カメラ Canon EOS Kiss X4】 【レンズ:TAMRON400㎜望遠レンズ】です。

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