屯田兵(とんでんへい)の歴史と琴似(ことに)兵村の秘密:北海道開拓の一端を探る

屯田兵(とんでんへい)の歴史と琴似(ことに)兵村の秘密:北海道開拓の一端を探る

屯田兵制度の誕生:明治維新後の北海道開拓

皆様、こんにちは。今回は屯田兵についてお話させて頂きます。屯田兵と申しますのは明治7年に設けられた制度で、明治維新の際の廃藩置県によって職を失った士族たちを北海道に移住させて、失業救済と開拓、国土防衛(北辺の警備)に当たらせる一石三鳥をねらった制度です。

屯田兵の生活:北海道移住の現実

屯田兵は他の移民と違って、支度料・旅費・住宅・日用品・農具など、ある程度の生活に困らないものが支給されましたが、交通の不便な時代でしたから、一家をあげてヒグマの棲む遠い北海道に移り住むことは大変な決心であったろうと思います。

屯田兵の住居:簡素な家と厳しい生活

板囲いで紙障子窓という北海道の寒さにはとても耐えきれないような、そして今のわたくしでは到底考えられないような家(木を薄い板にして屋根に張ったマサぶき屋根、4.5畳と6~8畳の和室、炉のついている板の間、土間、便所、押し入れ)に住み、昨日までの刀に代えてクワを振るい、原始林に入って木を倒し、根を掘って荒地を開いていくのですから、余程の忍耐と強い意志がなければ出来るものではありませんでした。

軍隊式の生活:厳しい労働と規律

夏は朝4時の起床ラッパで起こされ、6時に作業開始、昼食1時間休憩で午後6時まで、実働11時間労働(冬は9時間で主に訓練)勿論、家族も一緒に働かねばなりませんでした。

手にはマメができ、顔は真っ黒に日焼けし、いつしか入植当時の姿はどこへやら、歯を食いしばって決められたノルマを果たして行ったのですが開墾が遅れると、隊長から叱られることもありました。

集団生活のメリットとトラブル

また、集団入植なので、一般の開拓者が味わう孤独感はあまりなかったそうですが、出身地がまちまちのため、風俗習慣の違いや言葉さえ通じないこともあって、それによるトラブルも絶えなかったと申します。

屯田兵制度の成功と失敗

しかし、このようなこととは別に屯田兵制度は成功でした。屯田兵が入った土地には道路が造られ、治安が維持され小学校、病院、商店ができて、一応社会生活に必要なものが整い、付近一帯に民間の開拓者も移住するようになったからです。

ただし、防備を主とし農業がなりたつかどうか、あまり考えないで置かれたところ、例えば室蘭の輪西、厚岸の太田、根室の和田など太平洋側に設けられた屯田兵村は、濃霧と冷害のため作物ができず、ほとんど離散しております。

琴似兵村の誕生と歴史

明治8年札幌の琴似に初めて宮城県から93戸、青森県から49戸、酒田県今の山形県酒田市から8戸、道内より48戸の合計198戸、男女965人が入植して琴似兵村と呼ばれました。

以来(途中、武士に限らず一般からも募集)明治36年にこの制度が廃止されるまで造られた兵村は37か所、入植戸数7337戸(家族併せて約4万人)にて兵村が造られ、北海道の開拓に大いに尽くしたのですが、この琴似屯田はその第一号です。

琴似神社と兵屋:歴史を伝える文化財

現在、琴似駅前通りのわきにあることに神社の境内には、当時の屯田兵の生活を伝える兵屋(住宅)が北海道の有形文化財として保存されております。(昭和39年指定)

佐藤喜一郎:ヒグマハンター

琴似兵村に佐藤喜一郎という方がおりまして二つの記録が残されております。その一つは明治14年に、明治天皇がご来道なされた際に、ご宿舎の札幌行在所の警護に選ばれてその任務にあたったことでございまして、とても名誉なことでした。

二つ目は、屯田兵の中で熊狩りの達人という存在で、佐藤喜一郎さんが琴似にて撃ち取った熊は単独で5頭、共同で13頭で、特に現在の札幌市手稲区前田の原野では弾丸3個アマッポ矢と呼ばれるアイヌの人々が熊や鹿を射止めるときに使っていた毒を塗った仕掛け弓なのですが、その根1個でしとめております。

現代のヒグマ問題とハンターの役割

当時、開拓使では熊の害に対して、熊狩奨励金を出しておりましたが、1頭15円という高額なもので、お米1俵(60㎏)3円50銭、現在の価格に例えますとお米10kgが3,500円として計算しますと約83,000円ということになります。

入地のための支度料は2円、旅費、日当は1日33銭。補助米として1日1人玄米7合、医薬料、埋葬料は支給された時代です。ヒグマ1頭に15円とは開拓使もそれだけヒグマ被害を重要視していたことが分かります。

令和6年6月11日の北海道UHBニュースより

【ヒグマハンター”日当8500円”出動辞退】交渉は決裂!町は地元猟友会への依頼を断念…窮余の策として今後は町職員とボランティアハンターに対応を依頼へ 北海道奈井江町 

琴似神社境内に残る兵屋

琴似神社の境内に現存することに屯田兵村兵屋。

以前は中を見学できたのですが見学できない理由を書いた張り紙がしてありました。

現存する屯田兵屋でございますのでなんとか持ちこたえて後世に残したいものです。

今回使用した資料↓

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