北海道の丹頂鶴の歴史と現在の様子:自然の奇跡と保存活動の全貌

北海道の丹頂鶴の歴史と現在の様子:自然の奇跡と保存活動の全貌

皆様、こんにちは。本日は絶滅寸前にまでなり、1967(昭和42)年に地域を定めず種として特別天然記念物に指定され、道民の投票により昭和39年9月1日に【北海道の鳥】に選ばれた丹頂鶴についてご紹介させて頂きます。

北海道には古くからアイヌの人々が住み、独自の文化と歴史を持って自然の恵みを中心とする生活をおくっていました。本格的な開発が始められたのは明治時代になってからです。
鮮やかな四季と雄大な自然に象徴される北海道は、この優れた自然の中で育まれた先人たちの勇気と知恵により築き上げられました。
この先人たちの偉業をたたえ、私たちの生まれ育った郷土・北海道を認識するため制定された、北海道章・北海道旗、そして道民のみなさんの投票により選ばれた北海道の鳥、北海道の木、北海道の花などをご紹介します。

北海道公式サイトの北海道の概要/シンボルより

丹頂鶴とは何ですか?

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より

丹頂鶴は、日本の国鳥であり、その美しい姿と優雅な動きで知られています。頭頂部が赤く、その特徴的な模様から「丹頂」と呼ばれています。特に冬の北海道で見られるその姿は、多くの観光客を魅了しています。

※以下、見出し以外の文章では「タンチョウ」とさせて頂きます。

羽を広げると2mを超え、体重も7~12㎏と日本で最も大きな鳥です。その姿の優雅さ、気品の高さから「湿原の貴婦人」とか「赤いベレーの恋人」と呼ばれ、昭和27年には国の特別天然記念物に指定されています。

鶴の仲間は世界に14種、日本には6種ほどですが、このタンチョウだけは特別扱いで、クロヅル・ナブヅル・マナヅルのように日本名(和名)の後ろに‘‘ツル‘‘を付けません。

学名も「日本のツル」と言う意味です。

丹頂鶴の歴史は?

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より 戦国武将の家紋

タンチョウは江戸時代後半まで北海道はもとより、本州各地で見られ古くから日本の文化や伝統に深く関わってきました。

日本の古代文献にもその存在が記されており、平安時代の和歌にもタンチョウの姿が描かれています。

また、鶴は長寿の象徴としても知られており、古くから人々に愛されてきました。

開発と捕獲によって減り続け、明治の末にはその姿を見ることが難しくなってしまいました。

丹頂鶴はどのようにして絶滅の危機に瀕したのですか?

タンチョウは、一時期絶滅の危機に瀕していました。20世紀初頭には、北海道の湿地帯の開発や乱獲により、その数は激減しました。

1920(大正9)年には、わずか20羽程度しか確認されていませんでした。これにより、タンチョウの保存活動が急務となったのでございます。

保存活動はどのように始まりましたか?

タンチョウの保存活動は、1930(昭和5)年に北海道大学の研究者たちが中心となって始まりました。彼らは、生息地である湿地帯を保護し、エサを与えるなどの活動を行いました。

この努力が実を結び、徐々に数は増えていきました。特に、釧路湿原がラムサール条約の登録湿地の指定保護地域に指定されたことにより、生息地が守られるようになりました。

現在の丹頂鶴の生息地はどこですか?

タンチョウは中国やロシアでも生息の記録はありますが、はっきりとした数は分からず、現在は釧路湿原地帯や根室半島が残された楽園です。

※↑の写真のピンクの線の阿寒湖と釧路を行きかう道と、線の周辺、摩周湖と釧路を結ぶ道沿いなど線の右方面で良く見ましたし、写真右側、オジロワシのイラストのところに野付半島があります。

その道中いつもいるので棲みかなんだな~と思い「タンチョウを見つけましょう。」と車中からお客様と探して発見し、喜んで頂けた時はわたくしも嬉しかったです。

これらの地域は、繁殖地として非常に重要であり、地元の自治体や環境団体が積極的に保護活動を行っています。特に冬季には、エサを求めて多くのタンチョウが集まります。

丹頂鶴の観察ポイントは?

観察ポイントとして有名なのは、釧路市丹頂鶴自然公園や阿寒国際鶴センターや、鶴居村の鶴見台や鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリなどがあります。   

これらの施設では、生態や保存活動について学ぶことができ、実際に鶴の姿を間近で観察することができます。特に冬季には、雪原を舞う美しい姿を見ることができます。

観光客はどのように丹頂鶴を楽しむことができますか?

観光客は、ガイドツアーや自然観察ツアーに参加して楽しむことができます。これらのツアーでは、専門のガイドがタンチョウの生態や保存活動について詳しく説明してくれます。

写真撮影のためのポイントやアドバイスも提供されるため、美しい姿をカメラに収めることができます。

丹頂鶴の保護活動はどのように行われていますか?

保護活動は、多くの団体や個人によって支えられています。例えば、冬季にはエサを与える活動が行われ、十分な栄養を摂取できるようにしています。

また、生息地の湿地帯の保護や環境教育プログラムも実施されています。これらの活動により数は増加し続けています。

丹頂鶴の繁殖はどのように行われますか?

春になりますと、湿原の上にヨシやスゲを積み重ね、直径1~2メートル、厚さ50センチメートルほどの巣を作ります。卵はニワトリの4倍ほどの大きさで、通常2個産みます。

オスとメスが交代で約32日間温め、ヒナが孵化します。ヒナは3か月で親と同じ大きさに成長し、飛べるようになりますが、この頃はまだ頭から首にかけて薄茶色で、トレードマークの赤いベレー帽はかぶっていません。

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より

これは一人前になるにつれて、次第に色づいていくのです。

丹頂鶴の食性と行動は?

タンチョウは小魚、昆虫、カエル、水草などを好む雑食性の鳥です。夏は湿原の奥深くで家族単位で暮らし、動物質のエサを多く摂ります。

冬になると集団生活を始め、近くの農家や学校の生徒たちが撒いてくれるソバ、トウモロコシ、ドジョウなどをついばみ、夜は凍らない川の浅瀬に立って眠ります。これは川の中の方が暖かく、外敵に襲われることが少ないからです。

青く晴れた空に、雪より白い丹頂鶴が美しい舞を見せ、よく通る鳴き声を聞かせてくれるのはこの頃です。

丹頂鶴の文化的な重要性は?

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より

近年の文化上の事例としては、日本航空のシンボルマークである「鶴丸」は、タンチョウのイメージを元にしています。

1964年(昭和39年)に北海道の鳥に指定され、1984年(昭和59年)に発行された千円紙幣の裏面にタンチョウの意匠が用いられています。

落札相場検索 オークファン

このお札の時代、タンチョウの話をしても次の目的地になかなか着かない間の時間に、「恐れ入りますが、千円札をお持ちでしたら今一度ご確認くださいませ。」と見て頂きました。

お持ちじゃない方の為に、わたくしが用意した千円札をお見せし「実はタンチョウの他にも鳥がいるんですよ。お分かりになりますか?」とクイズのようなお話をしました。

「お分かりにならない方の為にヒントです。タンチョウが見えるように、お札を半分に折って下さい。右側にいます。分かった方いらっしゃいますか?分からない方の為に次のヒントです。また半分に折って下さい。今度は左側にいます。」と。

余談になりますが、前回お札が変わったのは2004(平成16)年、今年2024(令和6)年7月3日から20年ぶりにお札が変わりましたね。

まだ実物を手にしていませんがニュースで画像を見ましたら新札にもいました。さて、その鳥の名前はなんでしょうか?少し意地悪な問題でもあります。答えは後程・・・。

丹頂鶴の人工ふ化と国際的な取り組みは?

人工ふ化も順調に進み、他の地域に譲る余裕が出てきましたが、タンチョウは国際保護鳥であり、ワシントン条約によって譲渡が禁じられています。

保護、増殖、調査研究を目的とする場合に限り各地に送られています。これまで釧路地方の人々が守り育ててきたタンチョウが、世界の空を羽ばたき、パンダのように国際親善に貢献できることを願っています。

丹頂鶴の飼育と繁殖の取り組みは?

タンチョウは長命で、単独またはつがいでしか飼育できず、多くの飼育場所が必要です。

釧路動物園では他の動物園と連携し、1975年(昭和50年)には岡山後楽園とタンチョウの預託契約を結び、1978年(昭和53年)に1羽、1982年(昭和57年)に1つがいを移動しました。

近年では旭山動物園と円山動物園にそれぞれ1つがいずつ繁殖貸与し、飼育下での繁殖に取り組んでいます。2014年(平成26年)には旭山動物園で待望のヒナが誕生しました。

また、2011年(平成23年)には、ニトリサルルンカムイプロジェクトの協力により、台北市立動物園にも1つがいを繁殖貸与し、繁殖を試みました。(タンチョウは、アイヌ語でサルルンカムイ、湿原の神と言う意味です。)

丹頂鶴の保護対策は?

阿寒町や鶴居村にあるタンチョウのエサ場付近の配電線には、タンチョウのために黄色と黒のシマ柄や、赤や白に着色された防護管が取り付けられています。

電線は背景に山などがあると見えにくいため、過去には20羽以上がぶつかって墜落しました。タンチョウの飛行速度は時速およそ60キロメートルであるため、電線を発見しても回避することが難しいのです。

これを防ぐために、北海道電力が電線に目印を付けた結果、犠牲も減り、事故ゼロを目指しています。

阿寒中学校と丹頂鶴の関係は?

タンチョウは一時10羽ほどしか生き残っていないと言われ、絶滅寸前の状態にありましたが、昭和61年にはこの地方だけで300羽以上が確認されるまで回復しました。

これは地元の人々の温かい保護活動の成果であり、その中でも特に阿寒中学校の生徒たちの尽力が大きな役割を果たしました。

昭和32年、20年ぶりの寒波が北海道を襲い、ようやく増えつつあったタンチョウの命を次々に奪っていきました。翌年も同様の寒波が続き、その姿は激減しました。

これを見た地元の人々はタンチョウを助けるための保護活動を開始し、その中心となったのが阿寒中学校の生徒たちでした。

生徒たちは「鶴クラブ」を結成し、リュックサックにエサを詰めて毎日雪の中を歩き、湿原の奥深くまでエサを撒きました。この努力が実り、タンチョウの数は徐々に増えて行ったのでございます。

昭和45年、阿寒中学校には「吉川英治文化賞」が授与されました。この賞は小説家吉川英治の遺志により「良いことをした団体や個人で晴れがましい表彰もされず、黙々と信ずる道を歩み続ける人達」に贈られるものです。阿寒中学校とタンチョウの心の結びつきは、今もなお受け継がれています。

まとめ

タンチョウは、日本の自然と文化を象徴する美しい鳥です。その保存活動の歴史と現在の状況を理解することで、わたくしたちは自然保護の重要性を再認識することができます。北海道の美しい風景とともに、タンチョウの姿を楽しむことは、一生の思い出となるでしょう。

よくある質問/Q&A

Q: 丹頂鶴は一年中見られますか?

A: 一年中北海道の釧路・根室方面で見られますが、特に冬季に観察しやすく雪原に舞う姿が美しいです。

Q: 丹頂鶴の餌付け場所はどこですか?

A: 釧路市丹頂鶴自然公園や阿寒国際鶴センターが有名な餌付け場所です。観光客も観察しやすい環境が整っています。

Q: 丹頂鶴の保護活動にはどのように参加できますか?

A: 多くの団体がボランティアを募集しています。また、寄付やクラウドファンディングを通じて支援することも可能です。

Q: 丹頂鶴の観察に最適な時期はいつですか?

A: 冬季(12月から3月)が最適です。この時期には多くのタンチョウが集まり、雪原での美しい姿を観察できます。

Q: 丹頂鶴はどのくらいの数が生息していますか?

A: 現在、北海道には約1,800羽の生息しているとされています。

北海道の自然と文化を象徴するタンチョウ、その美しさと保護活動の重要性を知り、ぜひ一度その姿を見に来てください。

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より

最近では新千歳空港に近い長沼ジンギスカンで知られる長沼町でも話題になっております。

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より

タンチョウに限ったことではありませんが、野生動物にはエサを与えたり、写真を撮ろうと近づかないようにして下さい。楽しい北海道旅行が悪い思い出にならないように願っております。

HBCニュース 北海道放送 2022/11/17の「もんすけ調査隊」YouTube動画より

長沼町は「タンチョウも住めるまちづくりの取組」を東京の展示会で実例報告し、ドキュメンタリー映画も紹介いたしました。

HTB 北海道ニュース 2024/2/22 YouTube動画より

※HBCはTBS系列局、HTBはテレビ朝日系列局です。答えインコ→GINKO→Gを取ります→INKO→インコ

※今回使用したパンフレット【ひがし北海道観光協議会】

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