札幌市内観光ガイド:歴史と風景を楽しむバスツアー

札幌市内観光ガイド:歴史と風景を楽しむバスツアー

皆様、こんにちは♪本日は札幌市内観光の一部をご案内させて頂きます。いつもなら、1枚1枚の写真から歴史を掘り下げてご紹介しておりますが、札幌市内のバスでのご案内は大変忙しく、歴史も多岐にわたるため、見えてくるものを次々とご紹介し、お客様にシャッターチャンスを逃さないように心がけております。

それでは、少しでもその雰囲気を再現しながら、札幌の歴史もご紹介させて頂きます。

札幌市内観光のルート

バスでの札幌市内観光のルートはツアーにより様々ございます。札幌に宿泊する場合は、早めに市内中心部の概要をご案内し、ホテルへお送りいたします。その後、お客様はそれぞれ札幌駅や地下街、狸小路やススキノへと行き、夕飯が自由食のツアーがあります。同じく宿泊する場合でも、夕食はホテルか、サッポロビール園やアサヒビール園などでジンギスカン鍋料理を食べるツアーがあります。これは、会社の御一行様や高校の修学旅行に多く感じました。

札幌市内に宿泊しない場合

札幌市内に宿泊しない場合は、ツアーにもよりますが大通り公園で1時間から3時間程の自由行動をし、お客様は歩いて時計台や赤レンガの旧北海道庁を訪れたり、ラーメン屋さんで本場の札幌ラーメンを食したり、大通公園でゆっくりしたり、テレビ塔の展望台に行かれたり、思い思いに過ごしていただきます。

1日かけてのバスツアー

札幌市内をぐるりと1日かけてバスでご案内することは、近年では小学生の修学旅行で行われることが多いです。

高速道路を利用しインターチェンジによっても違いますが、今回は私がバスガイド1年生の時の札幌市内観光の基本のルートを選ばせて頂きました。どうぞお楽しみ頂ければと存じます。

それでは国道36号線の豊平川を渡って札幌の夜の繁華街ススキノが見えますところから始め、小樽方面への分岐点まで、ご案内させて頂きます。

実際はこんなにゆっくりご案内できることはほとんどなく、「これから時計台が前方に見えて参ります、カメラのご用意は宜しいでしょうか?時計台の時計塔の部分は2階建ての建物の上にありますので、そんなに上を見上げていては見失います。狸小路を左右にご覧いただきますと、すぐに大通公園です。その次が時計台でございます。」とお客様のご様子を伺いながら、その名称を連呼するだけの時が多いです。

札幌の市内中心部は碁盤の目になっておりまして、信号が青の場合、その先しばらく青が続きます。ここ以外もそうですが、ガイドというよりはドライバーさんが車内のミラーでお客様のご様子と交通量、道路状況を加味して走行致します。ガイドはドライバーさんに合わせながら遅れないようご案内致します。

右下の豊平川のところに、志村鉄一と吉田茂八の碑と書き入れており、そこがこれからのご案内のスタートになります。それでは参りましょう♪

写真上の札幌駅の左隣の〇はセンチュリーロイヤル。その下の〇は赤レンガ旧北海道庁舎です。反射して見えていないのでここで追記しました。

豊平橋を渡って市内中心部へ

月寒(つきさむ)、美園、豊平を通過し、市内中心部へと近づいて参りました。渡りますのは豊平橋です。この橋は明治31年に北海道で初めての鉄橋として、アーチ型のモダンなデザインで架けられました。その後、大正10年に一度架け替えられましたが、年ごとに増加する交通量に対応できず、昭和41年に総工費4億3千万円をかけて、国道36号線にふさわしい近代的な橋に生まれ変わりました。

全長130m、幅27m、この橋は北海道三大名橋の一つであり、他には旭川の旭橋、釧路市の幣舞(ぬさまい)橋があります。

豊平川と札幌の始まり

豊平川をはさんで向かい合わせに、札幌最初の和人居住者である志村鉄一、吉田茂八の記念碑が立っています。安政4年(1857年)、志村鉄一は幕府からここの渡し守を命じられ、官設渡し舟場の渡し守と宿屋の主人を兼ねて、豊平橋のたもとに妻と息子と三人で住んでいました。

その後、吉田茂八が一家四人で対岸に移り住みました。札幌は、この二戸7人の家族から始まったのです。豊平橋を渡る手前左に志村鉄一、橋を渡って右手に吉田茂八の石碑がありますので、ご覧くださいませ。

豊平川の流れと札幌の成り立ち

眼下を流れているのが札幌の母なる川、豊平川です。石狩・胆振(いぶり)国境の漁岳(いざりだけ)に源を発し、豊平峡の幽谷なる渓谷を生み、湯の香り漂う定山渓を流れ、このあたりで急に川幅を広げて大きな扇形の地形を造り、やがて石狩川に注いでおります。

豊平川は、石狩川の支流の中では第一の急流とされています。豊平川はここ数年前にサケが戻ってきたことで大きなニュースになりました。サケを大事な食料としていたアイヌの人々にとっては、大切な母なる川だったのです。

アイヌの人たちはこの川を「サリポロペツ」または「サッポロペツ」と呼び、乾いた大きな川という意味です。札幌の地名はこの川の名前から来ており、札束の札、幌馬車の幌で「札幌」という漢字にしたアイヌ語地名です。

豊平川と現代の札幌

時の流れは川の流れよりもはるかに速く、その扇状地の上には令和6年5月1日現在で1,002,381世帯、1,969,243人が住む街が広がっています。

豊平川は札幌の街を南から北に貫通していますので、橋の数も多く、100m毎に橋が20程あります。かつては毎年のように氾濫していましたが、護岸工事が完成し、堤防上には幹線道路が走り、河川敷の緑化・公園化も進んでサイクリングロードや野球場、テニスコート、サッカーや野球の練習場などスポーツ施設が整備され、市民の遊び場となっています。

※川沿いの道路は一方通行です。

創成川:札幌の東西を分ける小さな川

間もなく小さな川を渡りますが、これが創成川です。札幌市はこの川を境にして東と西に分けられています。1866年(慶応2年)大友亀太郎という人が、農家の飲料水や灌漑用に造ったのが始まりで、昔は「大友堀」と呼ばれていました。市の南側で豊平川から分かれ、郊外の茨戸まで12キロ続いています。

創成川は札幌市の歴史と発展において重要な役割を果たしてきました。明治13年の鉄道開通までは、石狩湾から札幌への物資を運ぶ重要なルートとして活用されていました。農家の飲料水や灌漑用水としても利用され、札幌の農業と市民生活を支えてきました。

創成川は、その後も市の発展に貢献し続け、現在では札幌市の景観と環境を整えるための重要な要素となっています。市内の多くの橋がこの川を渡っており、市民や観光客が行き交う風景の一部となっています。(左右をご覧くださいませ。小さな流れが創成川です)

現在、創成川沿いには緑道や公園が整備され、市民の憩いの場となっています。川沿いを散歩したり、自転車で走ったりするのに最適な場所となっており、札幌市民の日常生活に溶け込んでいます。創成川は、札幌市の魅力を引き立てる一部として、観光客にも人気のスポットです。

ススキノ:札幌を代表する繁華街

昼間のススキノ  写真右上の観覧車nORBESA(ノルベサ) 「ノリア(スペイン語:観覧車)」は、直径45.5m、地上78mに達する札幌初の屋上観覧車。 緑に囲まれた美しい札幌の街並を遥か遠くまで見渡せます。

※余談で私の妄想ですが、北海道弁の「行くべさ、食べるべさ、乗るべさ」からノルベサと名付けたのではないのかなと思っています。違いましたら申し訳ないです。

営業時間 [日-木・祝]11:00-23:00(最終受付22:50) [金・土・祝前日]11:00-翌1:00(最終受付24:50)
定休日 無休 料金[大人(高校生以上)]1周1000円/2周1100円 [小・中学生]1周500円/2周600円 [身障者]500円 [未就学児]無料

創成川を渡りますと、札幌の代表的な繁華街、ススキノです。漢字では「薄野」と書きます。住所としては存在しませんが、薄野交番や地下鉄の駅名、電車やバス停、お店の名前には「ススキノ」が使われており、その知名度の高さがうかがえます。

ススキノの歴史と由来

ススキノは明治4年、岩村通俊が札幌の建設を本格的に始めた際に、花柳界を設けたのが始まりです。当時、この辺りにはススキが一面に生い茂っていたため、「ススキノ」という名前がついたとされています。

ススキノは昼間は少し寂しい雰囲気がありますが、日が暮れると赤や青のネオンが灯り、夜の街として賑わいます。家を忘れた酔いどれ紳士淑女たちのパラダイスに変わるのです。

札幌はラーメンの街としても知られており、ススキノには「ラーメン横丁」と称する場所があります。ここでは様々なラーメン店が軒を連ね、訪れる人々に本場の札幌ラーメンを楽しんでいただけます。(ラーメンの話は後日詳しくご紹介いたします)

ススキノの現在の魅力

ススキノは今でも札幌市民や観光客にとって重要なスポットです。近年では、新しい飲食店やエンターテイメント施設が次々とオープンし、ますます魅力的なエリアとなっています。特に夜のススキノは、ネオンが輝き、活気に満ちた雰囲気が漂います。イベントやフェスティバルも頻繁に開催され、訪れる人々に様々な楽しみを提供しています。昼も眠らない街ススキノへ『COCONO SUSUKINO』ココノススキノ令和5年11月30日にオープンしました。

狸小路:札幌の歴史と変遷

間もなくアーケードに飾られた狸小路を横切って参ります。狸小路は、昔は怪しげな飲食店が多く、紅やおしろいの香りに化かされた殿方が大勢いたことから、いつの間にやら「狸小路」と呼ばれるようになったそうです。(皆様、左右をご覧くださいませ、ここが狸小路です)  

今では飲食店も増え、洋品関係や娯楽の店が軒を連ね、真夏の宵には浴衣姿でそぞろ歩きする市民にとって魅力的な場所となっています。また、狸小路のアーケードはスイッチ1つで自動開閉ができ、雨や雪の日には買い物客をガードし、晴れた日には日差しが直接歩道に差し込む仕組みになっています。

狸小路の現在の魅力とイベント

近年、狸小路では様々なイベントが開催され、さらに魅力的なエリアとなっています。特に夏祭りやクリスマスマーケットなどの季節ごとのイベントは、多くの観光客や地元市民で賑わいます。また、新しいカフェやショップが次々とオープンし、訪れる人々に新たな楽しみを提供しています。狸小路は、歴史ある街並みと現代的な魅力が融合した、札幌の人気スポットの1つです。

大通公園:市民の憩いの場

左右をご覧くださいませ。こちらが大通公園でございます。御用火事と称して焼け野原にし、その昔は「後志通り」と呼ばれ、明治14年に大通りと命名されました。この通りはグリーンベルトを含めて、テレビ塔から札幌市資料館まで全長1,300m、幅105mの広大なスペースが広がり、市民の憩いの場として親しまれております。

大通公園の歴史と特徴

大通公園は明治4年に防火線として造られたのが始まりです。現在は、防火、衛生、風致の三役を果たしています。公園内には3丁目と4丁目に大きな噴水があり、その間を駅前通りと呼び、地下街と地下鉄がございます。季節ごとに花が咲き乱れる花壇は、市内の花屋さん、園芸店、ガーデンセンターがボランティアで植え、整備しておりお店の名前が書かれた立て札があります。ビジネスに疲れたサラリーマンやOLのオアシスとなり、待ちゆく人々が足を止める場所です。

花壇には美しい花々が咲きほころび、噴水の周りや芝生に腰を下ろして憩う人々の姿、とうもろこしを食べながらはしゃぎまわる子供たち、まさに市民のオアシスにふさわしい光景が見られます。また、冬の大通公園は、皆様ご存じのホワイトイルミネーションや札幌雪祭りの第一会場となり、毎年2月上旬には大小さまざまな雪像が並びます。雪まつりは国際的な行事となり、面白いアイディアにあふれた雪と氷の芸術作品が、見る人々を夢の世界へと誘ってくれます。

大通公園はさらに魅力的なスポットとなり、多くのイベントが開催されています。春には花フェスタ、ライラック祭り、よさこいソーラン祭り、夏にはビアガーデン、秋にはオータムフェストなど、季節ごとに楽しめるイベントが満載です。また、新たに整備されたカフェや休憩スペースもあり、訪れる人々にとってより快適な環境が提供されています。

札幌テレビ塔:市内を一望するランドマーク

右手に見えるのは、近年の札幌の高層ビル群の中でもひときわ高く君臨している札幌のテレビ塔です。高さ147.2mで、名古屋、東京に次いで日本で3番目に建てられたテレビ塔です。地上90mのところに展望台があり、成長を続ける札幌の姿と石狩平野を一望することができます。昭和32年8月に総工費3億円で完成しました。

午後2時29分となっている時間の下、Panasonicとありますが、当初はNationalでした。

テレビ塔の展望台がリニューアルされ、より快適で見やすい環境が整えられました。また、夜にはライトアップが施され、札幌の夜景を美しく彩ります。さらに、テレビ塔内にはカフェやギフトショップもあり、観光客にとって楽しみの一つとなっています。イベントも頻繁に開催され、地元の人々や観光客で賑わっています。

札幌市役所:市の行政センター

高層ビルが立ち並ぶ都心で、ひときわ目を引くのが札幌市役所です。地下2階、地上19階建ての市役所は高さ85mあり、市の行政センターとして機能しています。昭和46年11月に工事費41億円をかけて完成しました。

札幌市役所は、市の行政業務を統括する中心施設です。昭和46年の完成以来、札幌市民のための重要な行政サービスを提供し続けています。高層ビルの中にあってもその存在感は抜群で、市のシンボルの一つとなっています。

最近では、市役所内の設備がさらに充実し、市民サービスの向上を目指した様々な取り組みが行われています。特に、デジタル化が進み、オンラインでの手続きが可能になったことで、市民の利便性が大幅に向上しました。また、市役所内にはカフェや休憩スペースも設けられ、市民や観光客が気軽に立ち寄れる場所となっています。

時計台:札幌のシンボル

右前方に見える西洋風の建物が、札幌のシンボルである時計台です。この建物は明治11年に北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として建てられ、屋上の時計と鐘が取り付けられたのは明治14年です。「時計台の鐘がなる、大空高くほのぼのと」という歌にもあるように、人々には郷愁と詩情を誘います。アカシアの花咲く夏の朝も、鈴の音凍る冬の夕べも、絶えず時の鐘を鳴らし続けています。

時計台の歴史と役割

時計台の建物は昭和45年に国の重要文化財に指定されました。現在は札幌歴史館として多くの人に利用されています。時計台には7つの星のマークがついており、これは開拓使の旗のマークで北極星を表しています。

時計は後から取り寄せたのですが、図り間違えたようで本来は建物の中を予定しておりましたが入らず、建物の上に取り付けました。現在でも鐘の音は正確になりますのでタイミングが合うと聞くことが出来ます。

時計台周辺で様々なイベントが開催され、訪れる人々に新たな魅力を提供しています。特に、夜間のライトアップはとても美しく、観光客に人気の撮影スポットとなっています。また、館内では時計の歴史や札幌の発展に関する展示が充実しており、学びながら楽しむことができます。季節ごとに特別展やワークショップも開催され、地元の人々や観光客に親しまれています。

写真は明治34年に行われた札幌農学校創立25年式典の様子。札幌始まって以来のにぎやかな催しであった。この日の遊戯会は数千人の大観衆で埋まり、夜は学生たちの長いちょうちん行列が続いた

出典:大学文書館所蔵

札幌駅:交通の要所

間もなく、札幌駅が見えて参ります。札幌駅は明治13年、札幌〜小樽手宮間の鉄道開通と同時に開業し、それ以来、ここは北海道交通の要所となっております。1度昭和26年に改築され、その後オリンピックに備えて改装されましたが、函館本線の高架、新幹線の乗り入れなどで、更なる駅舎の改築が求められています。駅正面には、北海道出身の彫刻家、故本郷新さんの「牧歌の像」があります。5人の男女によって大自然の農場の姿を表しています。

札幌駅のターミナルビル

右手に見える大きなビルは、地上10階、地下3階のターミナルビルです。1階の半分がバスターミナルで、このターミナルには中央バスのほか、ジェイ・アール北海道バスやじょうてつバス、沿岸バスや道南バスなど各社が発着しておりましたが、こちらは周辺にできた仮設バスのりばへと移転しています(2028年度までを予定)

北海道新幹線の札幌駅延伸に向けて、再開発が進む札幌中心部。その一方で、長年市民に親しまれた「4プラ」や「パセオ」のほか、JR札幌駅の「札幌エスタ」も令和5年8月31日に閉業しました。その1階にある「札幌駅バスターミナル」も令和5年10月1日に閉鎖となりました。

センチュリーロイヤルホテル

右手前方の白い建物はセンチュリーロイヤルホテルです。地上82mで、屋上にある丸い部分はスカイラウンジになっています。1周の移動に1時間ほどかかりますので、ゆっくりと景色をお楽しみください。

北海道庁旧本庁舎(赤レンガ庁舎):歴史と風情

間もなく、右手の木立の中に赤レンガの建物が見えて参ります。こちらが旧北海道庁です。明治4年に北海道開拓使庁が設けられ、明治19年に北海道庁と改められました。この赤レンガ庁舎は明治21年に建築され、令和の今日まで100年以上、風雪に耐えながら道政の総元締めとして使われてきました。

現在は行政資料館として利用されています。東西南北どこから見ましても同じに見えるようになっております。

現在の北海道庁と周辺の風景

旧庁舎の右後ろに見える近代的な12階建ての建物が現在の北海道庁です。また、赤レンガ庁舎の隣には道議会議事堂があります。手前の二つの池にはスイレンの花が咲き、銀杏並木やポプラ並木が美しく、詩情を誘う北海道の初夏の代表的な風景が広がります。

最近では、旧北海道庁周辺で様々なイベントが開催され、訪れる人々に新たな魅力を提供しています。特に、季節ごとに行われる花の展示やライトアップイベントは、多くの観光客や地元市民で賑わいます。また、館内では北海道の歴史や文化に関する展示が充実しており、学びながら楽しむことができます。特別展やワークショップも頻繁に開催され、地元の人々や観光客に親しまれています。

札幌中央警察署:北海道初の警察組織

右手に見える古い建物が、札幌中央警察署です。北海道に初めて警察組織ができたのは明治5年8月のことです。最初に箱館(函館)に設立され、その1か月後の9月28日に開拓使札幌本庁にも警察組織が設立されました。これが札幌中央警察署の始まりです。現在の建物は昭和9年7月9日に建築されたものです。

札幌中央警察署の歴史と役割

札幌中央警察署は、長い歴史の中で札幌市民の安全を守り続けてきました。明治時代から現在に至るまで、札幌の治安維持と市民の安心を支える重要な施設として機能しています。昭和9年に建てられた現在の建物は、当時の建築技術を駆使した堅牢な構造で、歴史的な価値も高いものです。

最近では、札幌中央警察署は最新の技術を導入し、市民サービスの向上を図っています。防犯カメラの設置やオンラインでの相談窓口の充実など、時代のニーズに合わせた対応を行っています。また、警察署内には展示スペースもあり、北海道の警察の歴史や活動を学ぶことができます。地域との連携イベントや防犯教室も定期的に開催され、地元の人々に親しまれています。

北1条通り:札幌を象徴するアカシア並木

車はアカシア並木で有名な北1条通りに入って参りました。この道をまっすぐ西へ進みますと、北海道の総鎮守である北海道神宮へと続く表参道にもなっています。

この北1条通りの両側に植えられているのがアカシアです。札幌と言えばアカシア、アカシアと言えば札幌を連想するほど、この木は札幌市民にとって身近な存在です。このアカシアの木は、明治16年に東京から移し替えられ、札幌の気候に合って成長し、広く知られるようになりました。

アカシア並木の他にも、銀杏、プラタナス、ナナカマド、ポプラなどが植えられており、「杜の都」としての札幌の風景を形成しています。春になると、これらの並木の緑が大変美しく、観光客や市民の心を楽しませてくれます。特にアカシアは時計台と並んで、最も馴染み深い札幌のシンボルとされています。このアカシアの木が札幌に初めて植えられたのは明治4年であり、その歴史は札幌の街の発展史と重なります。

アカシアの由来と特徴

一般的にアカシアと呼ばれていますが、正確にはマメ科のロビニア属ニセアカシアであり、北米が原産です。本物のアカシアは熱帯産で、日本では温室の中でしか見られません。それにしても、本当の名前がニセアカシアとは少し残念ですね。

北1条通りの最新情報とイベント

最近では、北1条通りで様々なイベントが開催され、地域の活性化に貢献しています。特に、春の桜祭りや秋の収穫祭など、季節ごとに楽しめるイベントが豊富です。また、街灯のLED化や歩道の整備が進み、より快適に散策できるようになりました。さらに、地域の商店街も新しい店舗が次々とオープンし、訪れる人々に新たな楽しみを提供しています。

余談ですが、私の場合、渋滞などで進まないときは、「♪この道は~、いつか来た道~ ああ↷そうだよぉ~↺ アカシア~の~ぉ↷ 花が咲いているぅ~~~♪」と北原白秋先生の歌を歌うことが年に2,3度ありました。

前方の交差点を左手に折れて参りますと、札幌の奥座敷として親しまれております、定山渓温泉を通り、更に森林渓谷の美を誇る中山峠を超えて、洞爺湖へ通じる国道230号線です。

裁判所と旧高等裁判所の歴史:札幌の司法

左手に見える茶色の建物は、昭和48年に完成した裁判所です。この中には高等裁判所、地方裁判所、簡易裁判所が入っています。

この裁判所の道路を挟んだところに旧高等裁判所の建物もあります。石造りの古い建物で、大正15年に札幌控訴院として建てられました。戦後は札幌高等裁判所として使用されてきました。正面玄関のひさし部分には、目隠しをした女神の顔とその左右に天秤が彫られています。これは、ここで行われる裁判が公平であることを示す、絶対公平の原則を表しています。

現在、この建物は市の重要文化財として保存されており、併せて北海道文学館、札幌冬季オリンピックの資料館として利用されています。また、札幌市資料館としても機能しており、多くの人々に利用されています。

最近では、裁判所周辺で様々な文化イベントが開催され、地域の歴史や文化を学ぶ機会が増えています。特に、旧高等裁判所の建物内では、定期的に展覧会や講演会が開かれ、多くの市民や観光客で賑わっています。また、裁判所の敷地内に新たに設置されたカフェや休憩スペースもあり、訪れる人々にとって快適な場所となっています。

厚生年金会館の歴史と変遷

右手に見えるのは、平成30年に解体された厚生年金会館の跡地です。この建物は昭和46年9月、総工費52億円をかけて完成し、当時としては非常に近代的なデザインでした。雪の結晶をモチーフにした六角形の形が特徴で、雪の札幌にふさわしいスタイルでした。

厚生年金会館の大ホールは、2,300席の客席を持ち、東京の帝国劇場をしのぐ大きさでした。各種会議や結婚式場としても利用され、また200名が宿泊できるホテルの設備も整っていました。札幌市民にとって厚生年金会館は、特に歌手の松山千春さんとの関わりで有名です。

昭和52年1月に「旅立ち」でデビューした松山千春さんが、同年8月に初めてステージに立ったのがこの会館です。デビュー数か月で北海道一の厚生年金会館が満席になったという伝説があります。また、毎年行われる春と秋のツアーのファイナル公演が恒例であり、千春ファンにとってこの会館は『聖地』とされていました。

平成20年4月からネーミングライツ(命名権)が導入され、「ニトリ文化ホール」と呼ばれるようになりましたが、平成30年に解体されました。現在、この場所は新たな開発プロジェクトの一環として再開発が進んでいます。新しい施設が建設され、地域の新たなランドマークとなることが期待されています。また、周辺地域も再開発が進み、観光客や地元市民にとって魅力的なエリアとして生まれ変わろうとしています。

北海道知事公館:広大な敷地と歴史

右手前方、広々とした庭を持つ一角が見えて参りました。こちらが北海道知事公館です。今もなお、石狩原生林の面影をとどめており、二町四方の面積、およそ5.6ヘクタールの敷地内には、針葉樹、広葉樹、ツツジ等の潅木が6,000本程、覆い茂っています。中には知事公宅の他、副知事、道警本部長の公宅もあります。どうぞ奥行きの広さもご覧くださいませ。

現在の建物は昭和11年に建てられました。札幌冬季オリンピックの際には、当時の天皇、皇后両陛下が1週間、こちらの知事公館にご滞在になられました。

北海道立近代美術館:文化の広場

続きまして、右手に見える白い大きな建物は、昭和52年にオープンした北海道立近代美術館です。合掌造りを思わせるデザインが特徴的です。コレクションには、岩内出身の木田金次郎画伯の「青い太陽」など、北海道ゆかりの美術品が収められています。また、広く日本の近代美術を中心とした作品が展示され、多くの人々が楽しみながら学び、考える文化の広場となっています。地下1階、地上3階建てで、工費30億円で完成しました。

最近では、北海道立近代美術館では様々な企画展やイベントが開催され、多くの観光客や地元市民に親しまれています。特に、季節ごとの特別展やワークショップは好評で、幅広い年齢層の方々が訪れています。館内にはカフェやギフトショップもあり、美術鑑賞の後にゆっくりと過ごすことができます。

お話のうちにアカシア並木から銀杏並木に変わって参りました

美しい銀杏並木が広がっています。この銀杏の木は、明治期に植樹が始まり、現在では市内の多くの通りでその美しさを楽しむことができます。銀杏並木は四季折々の風景を楽しむことができ、春の新緑、夏の深緑、秋の黄金色の葉、冬の雪景色と、それぞれ異なる表情を見せてくれます。

銀杏の木は、耐久性があり都市環境に適した木です。そのため、街路樹として広く利用されています。札幌の銀杏並木は、特に秋になると見事な黄金色に染まり、市民や観光客に愛されています。銀杏の実も食用として利用され、秋の味覚として親しまれています。

最近では、札幌市内で銀杏並木に関連したイベントが多く開催されています。秋の「銀杏祭り」では、銀杏並木をライトアップし、幻想的な夜景を楽しむことができます。また、銀杏の実を使った料理やスイーツの販売も行われ、多くの人々が訪れます。

イチョウの木のオスとメスの見分け方。葉が扇子のようになっているのがオスです。↑

真ん中に切れ目があり、ハートのように見えますのがメスでございます↑。信号待ちなどで進まないときは、アカシア並木のように歌うのではなく、イチョウの木の話をします。北海道大学の銀杏並木でもするお話です。

札幌では銀杏並木を保護し、次世代に引き継ぐための活動も積極的に行われています。市民ボランティアによる清掃活動や、銀杏の木の健康状態を保つための専門家による管理が行われています。

銀杏並木を楽しむ方法としては、季節ごとに異なる風景を楽しむことが一番です。春の新緑や秋の黄金色の葉はもちろん、冬の雪景色も美しいです。散策やジョギング、サイクリングなど、様々なアクティビティを通じて銀杏並木の美しさを堪能することができます。

北海道神宮第一鳥居:壮大な門構え

前方に見える大きな鳥居が北海道神宮の第一鳥居です。高さ19m、笠木の長さは27m、柱の直径は1.9mあります。柱と柱の間は16.4mあり、鋼管製のこの鳥居は「新命式」と呼ばれ、北海道で一番大きな鳥居です。

バスは右折し、小樽方面へ向かいますが、まっすぐ進むと北海道神宮があります。北海道神宮は札幌の都心から2kmの円山公園の一角に位置しています。明治の初め、開拓使の大きな仕事は、札幌に開拓使の庁舎を建設し、開拓の神様である大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)の三柱の神様をお祭りすることでした。

明治2年、札幌に初代開拓使判官の島義勇が、札幌の地形を考慮し、神社や開拓使庁舎の位置を決定し、京都のような碁盤の目状の街を造る計画を立てました。そして明治4年に札幌神社として現在地に社殿が建立されました。その後、昭和39年には北海道開拓に御心を寄せられた明治天皇も併せてお祭りし、札幌神社から北海道神宮に昇格しました。

毎年6月14日から3日間は神宮のお祭りが開催され、市民はもとより、地方からも多くの参詣者が訪れ、賑わいます。

今回の写真は私がiPhoneで撮りましたものと↓

↓こちらから引用させて頂いています。一番最初の地図もこの中の地図にルートを線で、主要な場所に〇印をしたものです。

2011年と2013年と少し古い資料ですので若干情報が違う場合がありますので予めご了承下さいませ。

まとめ

現在、札幌市内の定期観光のバス会社は1社でルートは2つです。1日札幌でお過ごしになるお時間がございましたらご利用してみてはいかがでしょうか。そしてレンタカーやご自身で観光される方は是非、参考にしていただければと思います。

市内は一方通行や右左折禁止も多く、駐車場もある所と無い所もございますので、ご注意ください。そして安全運転で楽しい札幌市内観光をお楽しみください。今回は私が1年生の時の基本ルートでしたが、まだまだ沢山ございます。

大倉山ジャンプ場、羊ヶ丘展望台、札幌ドーム、白い恋人パーク、場外市場、北海道神宮、北海道大学、札幌競馬場、裏参道、真駒内、藻岩山、旭丘展望台、モエレ沼公園、飲食の工場見学などなどありますので、お待ち頂ければ幸いです。

本日のご乗車誠にありがとうございました。ご案内は、ドライバー松浦武夫、ガイドはわたくし間宮林子でした。又のご利用をお待ちしています。

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