北海道 中山峠

北海道 中山峠

写真提供:アサミさん カメラの機種:Canon EOS R10 2024/04

国道230号線、札幌市と喜茂別町の境である中山峠山頂の道の駅から標高1898mの蝦夷富士羊蹄山

羊蹄山:北海道の象徴的な美景

皆様、こちらの壮大な景色をご覧ください。前方にそびえ立つのは、北海道を代表する名山、羊蹄山(ようていざん)です。

羊蹄山は、北海道の西部に位置し、標高は1898m。その形が富士山に似ていることから、「蝦夷富士」とも称されています。四季を通じて、登山者や自然愛好家から絶大な支持を受けており、特に夏の登山シーズンには多くのハイカーで賑わいます。

春には山麓で桜が咲き誇り、夏には清々しい緑が広がる姿が見られます。秋には紅葉が山全体を彩り、冬にはスキーやスノーシューを楽しむ人々で賑わい、年間を通じて様々な表情を見せてくれる山です。

羊蹄山の周辺には、ニセコや倶知安(くっちゃん)など、国内外から観光客が訪れる人気のエリアが点在しています。これらの地域では、温泉やグルメ、そしてアウトドアスポーツが楽しめるため、年間を通して多くの旅行者で賑わっています。

また、羊蹄山はその独特の自然環境から、多種多様な動植物が生息する貴重な生態系の宝庫でもあります。この地域は特に野鳥観察のスポットとしても有名で、自然愛好家にとっては見逃せない場所となっています。

中山峠の魅力とその重要性

中山峠は北海道を代表する峠の一つで、札幌市とニセコ町を結ぶ重要な交通の要所です。札幌から函館方面へ向かう際には、主に3つのルートが利用されます。それぞれ、太平洋側を通るルート、日本海側を通るルート、そして中山峠を越えるルートです。

まず、太平洋側のルートは、苫小牧を経由し、高速道路を利用することが多いです。このルートは約390キロメートルの距離がありますが、高速道路を使うことで時間を大幅に短縮できるため、時間を重視する旅行者に選ばれがちです。

次に、日本海側のルートは、小樽を経由します。この道は景色が美しく、海沿いを走ることが多いため、ドライブを楽しみたい方におすすめです。距離としては太平洋側とほぼ同じですが、一般道が多いため少し時間がかかるかもしれません。

そして、中山峠を通るルートです。こちらは札幌とニセコ間の最短ルートであり、距離にして約70キロメートルほど。山間部を抜けるためのドライブは、四季折々の自然美を堪能できるのが魅力です。

定山渓から中山峠への歴史的な道のり

定山渓から中山峠へと向かう、歴史深い旅をご案内いたします。まずは定山渓温泉を出発し、美しい自然の中を約20分ほどドライブして参ります。

定山渓温泉街を過ぎ、左手に見えるのが豊平峡へと通じる道です。写真は左に進み豊平峡へ。

豊平峡は以前「奇岩絶壁」として知られ、2メートルにわたる断崖が続き、激流が岩を削る壮大な自然景観が広がっていました。しかし、札幌市の水源確保のため建設された豊平峡ダムによって、かつての谷間や高山植物が多く含まれる自然環境の多くが湖底に沈み、現在では人造湖として新たなレクリエーションの場所となっています。この変化は自然保護の観点からも様々な議論がありましたが、今では多くの人々に愛されるスポットとなっております。

中山峠:北海道の自然と歴史が交差する道

豊平峡ダムへの分岐を横目に見ながら、さらに進むと中山峠へのアプローチが始まります。この峠は、札幌とニセコを最短距離で結ぶ重要な道路であり、ゆるやかな左カーブを折れると、その歴史ある峠道に入ります。かつては多くの人々や物資が行き交い、地域の発展に大きく寄与してきたこの道は、現在でもその美しい自然と共に、多くの旅人に親しまれています。

天気が良い日にはアサミさんが撮影したように遠く羊蹄山の姿も望むことができ、自然愛好家だけでなく、写真愛好家にも人気のスポットです。

中山峠ををただ移動するだけでなく時を越えて紡がれた物語とともに、私たちを今に繋げてくれる大切な文化遺産です。

昭和44年に開通したこの観光ルートは、松浦武四郎が初めて洞爺湖を経て札幌に入った時の歴史を持ち、その後、明治4年に東本願寺の小部さんや信者の手によって始めて開かれた道です。この道路はわずか1キロの短縮にとどまりますが、カーブが減少し、勾配も緩やかになり、全面的に舗装されたことで、旅の時間は以前の半分に短縮されました。この変化は、観光だけでなく地域住民の生活にも大きな利便性をもたらしています。

工事は大掛かりで、当時の最先端技術が取り入れられました。コンピューターを用いた設計で、カーブの橋や、なだれや崩れを防ぐための回廊や覆道が設けられています。これらの技術は、道路建設の秘術とも言えるほどの技術革新を象徴しており、現代の土木工学の美しさが原始林や渓谷の自然美と見事に調和しています。

クロソイド曲線


皆様、高速道路でのスムーズなドライブの秘訣は「クロソイド曲線」、別名「緩和曲線」にあります。この曲線を用いることで、ハンドルを急に切る必要がなく、自然とカーブを描くことができます。特に、ドイツのアウトバーンが世界で最初にこの技術を採用し、日本では群馬県の国道17号線三国峠において最初に導入されました。

北海道ではこの中山峠が導入されました。

クロソイド曲線は、直進から円弧への移行を滑らかにし、ドライバーの負担を軽減します。このため、高速道路を利用する際はハンドルをゆっくりと切り始め、カーブ中は固定し、出口に差し掛かると徐々に戻すだけです。この技術により、車両はより安定し、先の道も見やすくなります。

ほとんどの国で採用されているクロソイド曲線ですが、イタリアの一部の古い高速道路ではまだ「緩和曲線なし」の設計が見られることも。これは、新旧のインフラの交差点とも言えるでしょう。

現在、日本を含む世界中のほとんどの高速道路でクロソイド曲線が採用されていますが、イタリアにはまだ「緩和曲線のない直線からいきなり円弧」になる古い路線が残っていると言われています。これは、新しい技術が古いインフラに取り入れられるまでの時間や、歴史的な背景によるものかもしれませんね。 次回高速道路を利用する際は、このクロソイド曲線の役割を思い出して、その滑らかなカーブを楽しんでみてください。これらのカーブがいかにスムーズかを感じながら、安全で快適なドライブをお楽しみください。

北海道の観光ルート:景観と先進工学の融合

無意根大橋:壮大なカーブを描く橋


こちらは壮大な景観を誇る無意根大橋です。この橋は美しいカーブを描いており、長さは239メートルにも及びます。橋の下には薄別川が流れており、その激流が岩をかむ渓谷から50メートルの高さがあります。橋を渡る際には、その迫力ある景色に心奪われることでしょう。

薄別回廊と薄別トンネル:独特のデザインと機能


次にご紹介するのは、薄別回廊は山腹に造られた渡り廊下のようなもので、その先には長さ158メートルの薄別トンネルが続きます。このトンネルの出口は、ワニの口を思わせるようなユニークなデザインで、雪崩を防ぐために特別に設計されたものです。

渓明大橋:四季折々の景色を楽しむ
さらに進むと、渓明大橋があります。この一帯は薄別渓谷と呼ばれ、春の新緑と秋の紅葉が特に美しいことで知られています。この橋からの眺めは、四季を通じて訪れる旅人たちを魅了します。

仙鏡覆道:雪を効率良く誘導する設計

また、仙鏡覆道は道路にひさしをかけたような形状で、冬季に雪を谷間へ滑り落とすのに便利なよう工夫されています。この設計は、全国で初めての試みだったとされており、その技術的な革新性も見逃せません。

定山渓トンネル:自然光を取り入れた明るい通路

写真では雪で覆われて分からないのが残念です。


このトンネルは1,124メートルの長さがあり、ルーパー式と呼ばれる特殊な形状で、天井が尖っており側面にガラスがはめ込まれています。これにより、トンネル内に自然光がより多く導入され、運転者が暗さに早く慣れることができます。


定山渓トンネルを過ぎると、エゾ松やトド松、そして白樺の美しい景色が広がり、中山峠の頂上に到着します。

白い幹が白樺とダケカンバの木で、クリスマスツリーのように見えるのが針葉樹のエゾ松とトド松、北海道の道路でよく見られる赤白の逆L字型の下向きしましま矢印は「固定式視線誘導柱」です。詳しいご案内はまたの機会にさせて頂きますね。


東本願寺道路:北海道開拓の礎

皆様、この中山峠はかつて「本願寺街道」と呼ばれ、京都の東本願寺によって開削された歴史ある道です。この道の開削が始まったのは明治2年、東本願寺が朝廷から許可を得て、翌年の明治3年には現如上人を含む一行が京都を出発し、函館に上陸しました。北海道に渡ってからは、迅速に調査を行い、わずか1年半でこの約100キロメートルの道路が完成しました。札幌から伊達までには113の橋を架け、使用した費用は当時の金で1万8千両、現代の金額に換算すると何億円にもなると言われています。驚くべきことに、これらはすべてお寺の費用で賄われたのです。


この道路建設には、当時伊達に移住してきたばかりの侍やアイヌの人々を含む約200名が従事しました。当時は人手を集めるのも一苦労で、お坊さんたちが数珠を持つ手に斧を握り、熊やオオカミが出没する原始林で大木を切り倒し、笹薮を刈り取り、虻や蚊と戦いながら、幅3メートルの道を作り上げました。寒さの中、雪やみぞれに耐えながら、道を切り開く姿を思うと、私たちの祖先が直面した困難を感じずにはいられません。

現如上人の銅像

そして、こちらが現如上人の銅像です。明治3年、たった18歳で北海道に渡り、この約100キロの道を開いた方です。この像は信者の協力を得て昭和42年に完成し、4メートルの御影石の台座の上に立っています。台座には元北海道知事、町村金吾氏の筆による「北門開拓現如上人之像」と刻まれており、私たちが今日この道を利用できるのも、彼のような先人たちの尽力によるものです。

中山峠頂上到着

この峠は海抜836メートルに位置し、石狩、後志、胆振の各国境が交差する地点です。

左に曲がるとすぐに大きな建物があります。お手洗い専用建物です。

地図の下が見切れていて申し訳ございません。

入った感じは、とても広くて綺麗でツアーのお客様がおトイレが混んでいて出発時間に遅れてしまうということが少なくなりました。

そして、休憩、食事、お土産、産地の売店はリニューアルされたようでした。

売店はコンビニエンスストアとお土産店のコラボふうですが、が変わらないのは中谷峠の名物【揚げいも】です。

他にも変わらないのはお蕎麦、新しいなと思ったのはチキンやソフトクリーム。時期になりますと、ゆでトウモロコシ、ジャガバター、などが楽しめます。

そしてアスパラガスのモニュメントです。

中山峠の頂上で喜茂別町に入ります。喜茂別町は北海道でも有数のアスパラガスの産地で現在私たちが農産物の加工と販売でおなじみの「クレードル興農株式会社」がございます。その始まりは1932年、昭和7年に遡ります。当時の喜茂別町にて、アスパラガス生産者たちが集まり、原料価格の変動や納入規格の問題に直面しながらも、一致団結して組合を結成しました。彼らは「農民のために農民の手による工場を」という理念のもと、ホワイトアスパラガスの缶詰生産をスタートしました。

このユニークな始まりから、会社は「クレードル」という商標を採用しました。この名前は、アスパラガスの揺籃(ゆりかご)の地にちなんでおり、英語で「ゆりかご」を意味する言葉です。創業25周年を迎えた節目には、社名を現在の「クレードル興農株式会社」へと改め、新たな一歩を踏み出しました。

皆様、ただいま私たちは中山峠の頂上に位置しており、アサミさんが撮影してくださった雪化粧の羊蹄山が見えます。その壮大な景色に目を奪われている中、手前にある看板の意味にお気づきになりましたか?実は、その看板はお団子を表しているのではなく、「揚げいも」を象徴しています。

北海道は美しい自然だけでなく、その地域ごとに特有の美味しい名物もたくさんあります。特に中山峠からの眺めと共に、地元の味を楽しむことは、訪れる皆様にとって特別な体験となることでしょう。バスツアーのお客様には、車内で安全に景色を楽しんでいただきながら、地元の美味しい食事もご堪能いただけます。

この美しい形式を持つ看板が指し示す「揚げいも」を是非お試しいただき、北海道の自然と共に地元の味もお楽しみください。安全運転で美しい景色と美味しい食を心ゆくまでお楽しみください。

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