皆様、こんにちは。本日は、2024年7月に北海道にお越し下さった人気ユーチューバーの平成フラミンゴさんの、【ドタバタ!北海道で爆食ツアー】と【釧路の上手い飯食いまくりグルメツアー】を勝手にご案内させて頂きます。
動画は2回に分かれていますが、ご案内は一気にさせて頂きます。
たんちょう釧路空港から弾丸1泊2日の旅
朝1便で来られたようです。たんちょう釧路空港につきましては→こちら
早速レンタカーを借りて出発進行です。
道路をにエゾ鹿がいて驚いていました。
北海道のエゾ鹿の過去と現在:自然保護と農作物被害の現実
こんなに近づいても逃げようとしないエゾ鹿です。
北海道のエゾ鹿は、エゾアカシカと呼ばれ、角の長さも体重も本州のシカに比べてはるかに大きいです。
エゾ鹿のことをアイヌ語では「ユク」と言い、と同時に「獲物」のことも意味しました。
「蝦夷と呼ばれていたころの北海道は、まさに鹿の楽園でした。アイヌの人たちが、長い間自給自足の生活を続けることが出来たのも、数多くのエゾ鹿がのおかげだといわれ、鹿はアイヌの人たちの大切な食料だったのです。
このようなエゾ鹿の楽園も、明治12年1月から2月にかけて大雪に見舞われ、その間に雨も降って雪の表面だ凍り付いたため、雪を掘って笹などを食べていた鹿の食料が奪われてしまったのです。
山に食べ物がない鹿は海岸に降りてわずかに流れ着いた昆布や藻を食べれ歩くような有様で、全滅に近い程飢え死にし、鹿を主食としていたアイヌの人たちもたくさん餓死するものが出たほどです。
このことがあってから、鹿の数は急速に減少し乱獲が後をたたず絶滅寸前になったためついに禁猟となりました。
その後は徐々に増え始め、近年は山林や農作物の被害も出るようになりましたので、地域を限り、一定条件のもとで、オスだけ獲ることが許されるようになりました。
わたくしが見たところ、オスの小鹿のようです。お尻の白い毛の部分がハートに見えるのが特徴です。
もっと大きくなりますと、それは見事な角になり風格があります。
日本最大の湿地帯・釧路湿原国立公園の魅力と特徴
釧路湿原ですが、釧路湿原国立公園になっておりまして、東北海道の拠点釧路市に隣接するわが国最大の湿地帯で、北海道では6番目、日本では28番目の国立公園として誕生いたしました。
これまでの国立公園は、山岳美や海岸線など、地形でえらばれておりましたが、この釧路湿原は、原始的な景観は勿論、貴重な動植物の棲息地であることが高く評価されており、湿原だけの国立公園は全国でも初めてのものです。
東西17k、南北36k、2万9千ヘクタールの広さを誇り、これは全国に233ヶ所あるという湿原総面積の59%にあたります。
また、有名な日光の尾瀬や稚内に近いサロベツ湿原に比べ、標高2~10mと低いところにあるのが特徴です。
主にヨシやスゲ類の泥炭地ですが、たくさんの小川が絡み合い、そのところどころにヤチハンノキ、タチヤナギが生い茂って単調な景観にもアクセントをつけております。
湿原にはガンコーランやコケモモの高山植物・水生植物のミツガシワ・食中植物のコタヌキモなど、およそ200種の植物と、タンチョウを始め、氷河時代の生きた化石と言われるキタサンショウウオ、日本ではここでしか見られないエゾカオジロトンボなど1,200種の動植物が生息してしております。
釧路湿原展望台(北斗展望台)
お三方は、湿原の遊歩道を散歩されたようですが、湿原を一望できる釧路湿原展望台があります。
展望台は湿原に多い「谷地坊主(やちぼうず)」をモチーフにしたユニークな建物で。1回は売店、レストラン。2階は資料展示室、3階は展望台になっております。
展望台の屋上バルコニーからの眺めも素晴らしく、遠く雄阿寒岳・雌阿寒岳を背に広大な湿原を360度見渡し事が出来るところです。
釧路湿原に潜む『ヤチマナコ』と『ヤチボウズ』の不思議な生態
湿原の中にデコボコと盛り上がっておりますのは、釧路湿原展望台のモチーフにもなっているヤチボウズとという植物です。
ヤチとは「湿地」のことで、湿地の中にぼこぼこと坊主頭のように盛り上がっているところから「ヤチボウズ」と呼ぶわけですが、これは植物のスゲ(ヒラギシスゲ等)が根を張って土を固めた後、周りの土が水に流された結果出来るものです。
スゲの成長と共に高さ1mにもなるそうで、春先、前の年のから葉が垂れ下がってザンバラ髪の生首のようになり、これが並んでいる光景は不気味さを感じると申します。
湿地帯には「ヤチナナコ」もあります。盛り上がるヤチボウズとは反対に、これはヨシ原のなかにかくれている丸い深い穴です。
勿論水が溜まっており、すぐ近くまで行ってもなかなか分からず、人や馬が落ち込むと、はい上がることが出来ません。
マナコと言うのは「目」のことで、ヤチマナコはヨシ原の間から、湿原に近づく者を瞬きもせず、じっと待っているようです。大自然の演ずる湿原のミステリーでございます。
お三方は、ラーメンや屋さんでお食事です。
行者ニンニクとは、北海道の山菜の中で、最も強いにおいを持っております。
アイヌネギともよばれておりますが、アイヌの人たちはこの匂いに力を感じ、悪い病気が流行すると枕の中に入れたり、玄関や窓に下げて悪魔が逃げ出すように祈ったと申します。
おひたしやジンギスカン鍋に入れて頂くとおいしいですよ。
弟子屈ラーメン誕生の地・弟子屈町の歴史と発展を探る
さて、終盤になり「ここはなんていう名前のラーメン屋さん?」と言う話になりまして、「てしかが」と言う町にあるので「弟子屈ラーメン」なんだ、と納得されておりましたが。
弟子屈は漢字でお弟子さんに屈すると書きます。読みにくい地名ですが、アイヌ語の「テシカ・ガ」岩盤の上、に漢字をあてたものです。
弟子屈町は阿寒国立公園の大部分を占め、東北海道の観光の中心地になっております。ここは硫黄採掘を目的に和人が入ったのは明治10年で20年には硫黄運搬のため、アトサヌプリから標茶(しべちゃ)間に北海道では4番目にの鉄道が敷かれました。
またこれに伴い温泉宿も開かれ、明治30年代には本格的な開拓がはじまり、こんにちの弟子屈町の畑作と酪農、林業の基盤が出来たのでございます。
ようこそ~平成フラミンゴの御一行様~。3人分のチケットは取れたそうですが、席はバラバラにしか取れなかったそうです。それだけ人気なのね、とポジティブに仰って頂き有難うございます。
キャビンアテンダントさんが親切だったお話、朝10時くらいまでは霧で何も見えなかったなど、ラーメン、餃子、ザンギ(本州でいう唐揚げ)を食べながら色々とお話をされていました。
急に画面は変わりまして
オンネトー湖の魅力とアイヌ文化:雌阿寒岳と阿寒富士を映す神秘の湖
ぺえさんが「これ(湖)こ」がつかないの?と聞かれていますが、はい、そうなんです。
次の写真も惜しいのですが、【オンネトー】と言います。
トーと言うのがアイヌ語で、湖の事を言います。ですが、洞爺湖、阿寒湖など、トーを湖に変えているところが多いです。
このオンネトーは周囲僅か4kの小さな湖ですが、紅葉の季節が最も美しく、晴れた日には、写真のように雌阿寒岳や阿寒富士の姿をそのまま湖面に移す風景は、まさに神秘的な感じが致します。
エメラルドグリーンの水の色、時には人々を寄せ付けない厳しさを見せるオンネトー、それがこの湖の魅力の1つであり、けがれを知らない神秘な自然美は、ここを訪れる人の心を虜にしてしまいます。
オンネトー観光の裏側:狭い道でのガイドとドライバーの奮闘記
オンネトーは国道から少し入ったところですので、地図上ではスーっと言って、見学してスーっと戻れるイメージですが、わたくしがガイドになりました頃は、道路はほぼ1車線、対向車が乗用車でも交わすのが厳しい道でした。
前日、阿寒湖に宿泊したときは、バスセンターと言う、各バス会社が止まる宿泊所があるのですが、ドライバーさんたちは会社の垣根を超えて、明日の朝、オンネトーに行くか?行く場合は何時にホテルを出るのかを話し合って、暗黙に決められた路肩の良い場所で、すれ違うように工夫していました。
雨の日や、雨が降った次の日は、対向車がいなくても、路肩が弱くなっているので、バスでの往復はドライバーもガイドもかなり神経を使いました。
お手洗いもなく、売店もない、どうして、こんな場所を見に行くんだろう。と思ったものでした。
オンネトー観光の発展:駐車場整備と自然の調和を目指して
わたくしがバスガイドになった頃、バイクや自転車で北海道1周をする方々が多くいらっしゃいました。
とある大学生が夏休みに自転車で、このオンネトーに来た時、とても感動したそうです。そしてその学生さんは旅行好きもあり、大手旅行会社に就職をしました。
そのうち、北海道を自転車で旅していた時に見た、オンネトーをバスツアーのお客様にも見せてあげたい、とツアーに入れるようになり、それが広まり、ツアーによりますので必ずではありませんが、見学する場所になりました。
国立公園の為、むやみやたらに気を伐採し、景観を損なうようなことはしてはいけないのですが、いつしか安全の為、道路は綺麗に舗装され2車線になり、気軽に行き来できるようになりました。
わたくしがガイドを引退してからは見る機会もありませんでしたので、こうして動画で今のオンネトーを見て感激しました。
なんと立派な駐車場と撮影スポットがあるのかと。湖のすぐそばまで行くことも出来るようになっていて良かったです。
ですが、念のため足寄町の公式サイトを見ましたら
令和4年6月からは野営場に隣接してオンネトー野営場休憩舎がオープンし、野営場利用受付、観光案内、休憩所、アウトドア等物品の販売・レンタル、軽飲食提供などが行われます。
周辺のトイレは雌阿寒温泉公衆トイレ
オンネトー野営場のトイレ(オンネトー国設野営場管理棟トイレ(24時間)・UPIオンネトー内トイレ(日中のみ))の2か所となりますので、十分余裕をもってトイレのご利用をお願いいたします。
GW期間中については雌阿寒温泉公衆トイレのみの供用となります。
あしょろ観光協会:あしょろ観光協会特設サイト
お手洗いについては、まだ厳しい問題があるようです。
はい、オンネトーでございます。
阿寒富士と雌阿寒岳
山についてですね。かしこまりました。ご案内させて頂きます。
向かって右手の三角の山は標高1,499mの阿寒富士。向かって左側の山が標高1,476mの雌阿寒岳でございます。
写真をよぉ~く、ご覧いただきますと、ぺえさんが指をさしておりますのが雌阿寒岳なのですが噴煙をあげているのがお分かりでしょうか?アイヌの人たちは「マチネシイリ」女の山と呼んだ山です。
沢山の小さな火山や加工が集まっている複雑な山です。
昭和30年に小規模な噴火があり記録的には、これが初めてなものですが、火山灰などの研究によりますと200年前ににも大噴火があったと考えられるそうです。
雌阿寒岳登山
アカエゾマツ、トドマツの林を抜けて登っていきますと5合目に、もと硫黄を採掘していた旧火口跡があり、このあたりからハイマツ、ナナカマドが増え高山的な感じになります。
さらに7合目付近からは火山の素肌が現れ高山植物も見られます。
雌阿寒岳の最も高い峰は1,499mのポンマチネシリですが、頂上からの眺めは雄大で、すぐ隣の阿寒富士は勿論、遠く大雪の山を望むことが出来ます。
本当にそうですね。緑の季節には緑に、紅葉の赤の季節には赤みを帯びた湖になりますので、七色の湖とご紹介させて頂いておりました。
丁度RIHOさんが前が駐車場になっていますが、立派になったなと思い懐かしく拝見しております。
その駐車場が乗用車でいっぱいの時、バスは方向転換できず、お客様を置いて、その先まで行きUターンしました。RIHOさんの背中側にトイレがあったはずです。
昔に比べたら、綺麗に整備されていますが、良く見ますと、やはり路肩が気になるわたくしです。
何故、樹木が大きく感じられるのか
ぺえさん、良くお気づきになりましたね。流石です。
実は阿寒国立公園は大雪山国立公園と同じく昭和9年に国立公園に指定されました。
しかし昭和29年8月24日~27日までの洞爺丸台風で、大雪山国立公園の木々は倒れ、植樹したり木の種をヘリコプターでまき、現在の自然になっています。
幸い、阿寒国立公園は被害を避けられたため、樹齢300年クラスのエゾ松トド松などが多く、太古の自然に近しい景観です。
しかも、釧路方面から来られますと余計にそう感じるのではないでしょうか。
白樺(しらかば)
白樺の木は、本州方面ではかなりの高地でに行かなければ、なかなか見られないそうですが、北海道はでは野や山ののいたるところに生えております。
イギリス人はこの木を、白いドレスを着た貴婦人に見立て『森のレディ』とよんでいるそうですが、特に森や高原の緑の中では、いっそう白さが際立って明るく清楚な雰囲気を感じさせます。
都会に住む人にとは、この白い木肌にイニシャルを刻んで、山の思い出の一つにする人も多いようです。
ところが、このようなロマンチックなムードを持つ白樺も農家の人達に言わせると「な~んだ、ガンビ」かと言って人気がありませんでした。
白樺の木のはえるところは、どこもやせ地か火山灰地で何を植えてもダメです。そのうえ、柵にしても2年ともたず、マキにしても火持ちが悪く、せいぜいその白い川だけがタキツケに使われるぐらいのものだったのです。
しかし、現在ではフローリングやパルプ材に大いに利用されております。
白樺は非常に水分の多い木で、山に入って水がない時は、白樺の木に傷をつけますと沢山の樹液がとれ、時折山で遭難した人の命も救ったことがあるようです。
樹液は甘味はありませんが、さわやかな香りが漂います。山の自然児アイヌの人たちは古くから、この白樺の樹液を祭典や来客用に使用していたということです。
白樺の樹液は、瓶に入って飲料用や化粧水などとしてお土産屋さんなどで販売されています。
わたくしも飲んだことがあります。
そうそう、北海道は元々杉の木がなかったので花粉症の人は少なかったのですが、ここ十数年前からは白樺の花粉症になる人が多くなりました。
朝のニュースでは、本日の白樺花粉状況などもあります。
2日目
美幌峠から一望できる北海道の名所:屈斜路湖とその周辺
標高525mの美幌峠の駐車場ですが、写真右上に遊歩道が続いているのが見えますか?駐車場から展望台までは歩きになります。
バスガイドは下車案内をさせて頂きますが、声が湖と山に吸い込まれて拡声器が欲しいと何度思ったことか。
はい、ではまず、見えております湖は屈斜路湖です。
湖の中に横たわって見えますのは周囲12kmの中島、その右手、湖の端から突き出しておりますのは和琴半島です。あの半島の突端はオヤコツ地獄と言われております景勝地です。
湖の向こう側、中島の左方向に仲良く二つ並んだ山が見えますが、川湯の帽子山とカブト山でその山の陰に、川湯温泉の源の硫黄山があります。
カブト山の右後方にひときわ高くとがって見える山は摩周岳で、あの山の中腹に神秘の湖、摩周湖があります。
湖の左手遠くに見える美しい山は知床連山の1つ斜里岳(しゃりだけ)です。
この写真では分かりにくいですし、見えませんが、ご案内を続けさせて頂きます。
後ろを振り返って頂けますか?
遠くかすんで見えますのが大雪山連峰です。右側、すぐ下の平野の中に見えておりますのが、網走湖、続いて能取湖(のとろこ)、その策にサロマ湖があります。更に右側に見えるのがオホーツク海です。
屈斜路湖(くっしゃろこ)の形成とアイヌ語の意味:世界第2位のカルデラ湖を探る
アイヌ語の「クッチャロ」のどの口、と言う意味です。昔、この湖が釧路となって流れ出す「のど」にあたる部分にクッチャロコタンがあり、その名をとって、屈斜路湖となったものです。
面積およそ80平方㎞、周囲57㎞、最大深度部約118mのカルデラ湖で、北海道ではサロマ湖に次いで大きな湖です。
カルデラとはスペイン語で鍋と言う意味ですが、土地が陥没して出来た大きな窪地の事で、そのカルデラの底の部分に水が溜まって出来た湖の事をカルデラ湖と言います。
この屈斜路カルデラは面積400k㎢で、九州の阿蘇カルデラをしのぎスマトラのトバ湖カツデラに次いで世界第2位と言われております。
カルデラは、その中心や周囲など、近くのよわいところに新しい火山を噴出する特徴を持っており、湖に浮かぶ中島や、和琴半島のオヤコツ地獄、硫黄山、摩周湖を抱く摩周岳などは、そうして出来たものです。
中島
湖の中に大きく横たわる中島は、屈斜路カルデラに出来た2重式火山で水面からの高さは355m、周囲12k、島全体が原始林に覆われております。
この湖には以前、トゲウオ、ニジマス、イトウ、ヤマベなど沢山の魚が生息しておりましたが昭和13年、屈斜路湖を震源地とする地震があり、酸性の強い温泉が湧きだしたため、只今ではわずかにウグイがいる程度と言われております。
また湖岸には、和琴、仁伏(にぶし)砂湯、赤湯、池の湯、などの温泉があり、付近のキャンプ場とともに賑わっております。
屈斜路湖の冬の風物詩『御神渡り』:巨大な氷の奇跡を体験
この屈斜路湖も冬になりますと、湖全体が氷でおおわれ、時折「御神渡り」現象が見られます。御神渡りは長野県の諏訪湖が有名ですが、冬、寒さが厳しくなり、湖の表面が凍るときには、夜間と日中の気温の変化によって、氷は収縮と膨張を繰り返します。
その際、夜間の収縮で氷の表面に亀裂ができ、そこにしみ込んだ水が翌朝までにまた凍ります。
しかし出来立ての氷は古い氷からはみ出して押し上げられ、アンコがはみ出したように盛り上がります。
これが「御神渡り」現象で、諏訪湖付近では男の神が女神の元へと通った跡であると言い伝えられ、神が渡ると書いて御神渡りの名前が付けられております。
屈斜路湖は、ご覧の通り大きな湖ですから、人の背丈ほどもある大きな御神渡りができ、美幌峠などの高台からは幾何学模様に見えます。
この屈斜路湖で御神渡り現象を観察できるのは。1月下旬から2月中旬までの、ほんのわずかな期間ですが、ドーン、ガリガリと言う大音響を伴うこともあり、まことに豪快で神秘的です。
砂湯
美しい渚が続き、まろやかな曲線を見せる藻琴山と中島が湖に影を落としております。
アイヌの人たちが「オタユ」砂から湧き出る温泉と呼んだように岸辺の砂をちょっと掘るだけで、どこからでも熱いお湯が沸いて出てくるのです。
砂湯付近は水も暖かく、遠浅になっておりますので、水泳やキャンプ場にはには絶好の場所となっております。
お二人は、凄く楽しみながら掘りました。もう一息、二息で入れそうですが・・・。
このように、ツアーのお客様も、子どもに返ったように砂堀をしてお湯が沸いて出るのを実感されます。
一応、砂湯の右と左に売店がありまして、そこにもう作ってある砂湯に入ることが出来ます。ツアーのお客様にはお時間がありませんので、少し掘るか、手で砂湯を楽しんでいただいておりました。
白鳥の飛来地
この屈斜路湖も冬になりますと雪と氷におおわれ、夏の賑わいが信じられないような静かなたたずまいを見せます。そんな静かな冬の屈斜路湖にも11月中旬になりますと遠くシベリアからのお客様オオハクチョウがやって参ります。
この湖のいたるところに温泉が湧き、冬でも凍らない部分もありますので、翌年の春までその水面にゆっくりと羽を休めるのです。
白一色の風景の中にぽっかりと顔をのぞかせる真っ青な湖面。純白のオオハクチョウが点々とと浮かびます。
地元の人達も白鳥を守る会を作っており、多い時には数百羽を超えるハクチョウたちにエンバク、麦、トウモロコシ、パンクズなどのエサを与え、優しく保護しております。
屈斜路湖の怪獣『クッシー』の誕生秘話:ネッシーに続く日本の伝説
昭和48年の夏、この湖で黒い怪獣を見たという人が相次いで現れました。
目は銀色で首が長く、体長10m余り、肌は黒いチョコレート色で、モータボート並みの速さでぐいぐいと泳いでいたというのです。
昔からこの湖には主が住んでいると言う言い伝えがありましたが、それは単なる伝説ととらえられておりました。
この話の発端は、湖の周辺で排水作業をしていた人たちや北見の中学生が藻琴山から双眼鏡で湖をみていて発見したというものですが、それがテレビや新聞に取り上げられ、話はますます大きくなって行きました。
いつしか怪獣はネス湖のネッシーに因み、屈斜路湖なのでクッシーと名付けられました。
しかし、本当にまじかで見た人や専門家も首をかしげておられますが、クッシーの歌や、クッシーの像、クッキーやラーメンまで出現し観光土産の仲間入りをしております。
動画を見ますと、ぺえさんはクッシーのTシャツを購入されたそうです。
硫黄山の魅力と危険性:アイヌ語『アトサヌプリ』が示す大自然の力
ぺえさんの感想は、まさにその通りです。
RIHOさんも、率直な感想をありがとうございます。確かに臭いますので・・・。
標高510mの硫黄山が煙を上げております。アイヌ語では「アトサヌプリ」裸の山と言う意味です。
硫気功からごうごうと、うなりをあげて噴き出しているのは亜硫酸ガスで、吸い込みますとノドを痛めることもありますんでご注意ください。
わたくしは、下車まえに口を閉じながらご見学下さいね。と注意喚起したりもしました。
岩肌に見える黄色い部分は全て純度の高い硫黄で、明治の初めから昭和38年までのおよそ80年間にわたり、採掘がおこなわれておりました。
見切れているのですが、写真左側がカブト山、その隣が帽子山です。あそぶさんの頭の後ろに建物がありますが、駐車場と宿泊の出来ないレストハウスです。
相当、歩いて中腹まで来たことが、わたくしには分かります。足元はゴツゴツしていて足首をひねりそうになりますし、熱風のせいで暑いミストが風向きで顔にあたります。
はい、おっしゃる通りです。火傷には十分お気をつけください。
こんなに感激して頂けますと、とても嬉しいです。
動画にはありませんでしたが、以前は、中腹で硫黄の蒸気で蒸したまごが売られておりまして、5個入りなんです。
5個と言うのがなんとも、お二人様の場合2つずつ食べても1つ残るので、ガイドさんか、ドライバーさんどうぞ、と分けて下さる方もいらっしゃって本当にごちそうさまでした。
今は売店でしか売っていないのかもしれませんね。
ちなみに、硫黄山、カブト山、帽子山は、屈斜路カルデラが陥没したのちに噴出したもので、学術的には溶岩円頂丘(ドーム)と言い、溶岩が固まってできたものです。
3つの山に取り囲まれた中央部には、古い時代の火口跡があり、沼の湯や沢山の硫気孔があります。
まさに体全体で硫黄感じて下さって素晴らしいです。
おっしゃる通り、写真では伝わりにくいですね。
はい、見ておりますよ。とても良く映っていると思います。
実際に来られますと、写真では伝わらない、地響きや臭い、暑さなど五感で感じることが出来ます。まさに、地球の形成期を感じられますね。
日本1のエゾイソツツジの群落は面積およそ100ヘクタール、6月中旬から真っ白な花が咲いて、7月の上旬まで続きます。
その他ガンコウランやコケモモなどの高山植物が茂り、この間をハイマツの濃い緑が彩を添えます。
荒々しい白い岩山と見事に調和し、まるで自然の庭園のようです。
阿寒国立公園でも代表的な景観として、特別保護区に指定されており遊歩道も設けられております。
摩周湖の神秘と絶景:透明度世界第1位の湖を体感する
硫黄山から摩周湖までは摩周観光道路を通りまして約30分ほどで到着します。
硫黄山方面から来ますと標高650mの摩周第三展望台があります。観光バスは標高550mの第一展望台に駐車します。
写真は第一展望台です。写真右の猫の耳の形に見える山が摩周湖外輪山、標高858mの摩周岳です。アイヌの人たちは「カムイヌプリ」と言っておりました。
湖の奥にぽつんと丸く見えるのが、周囲160m、湖面からの高さ25mの中の島です。
その中の島の奥にかすかに見えているのが、標高1,545mの斜里岳です。
ぺえさんの感想は鋭いですね。はい、わたくしが理由をご案内させて頂きます。
摩周火山が600mと言う陥没を起こしカルデラを作り、その後に摩周岳、中の島の二つの火山が新しく出来たと言われております。
そしてこのカルデラに水が蓄えられて出来たのが摩周湖で周囲24㎞、深さ210mほどで、黒々とした原生林と、絶壁に囲まれた湖は見る人達を神秘の世界へと誘ってくれるのでございます。
透明度世界第1位です。1931年に41.6mの透明度を記録し、現在も世界有数の透明度を誇る湖沼として知られています。
湖面は水と言う観念をはるかに超えた深い青さで、見る人達の胸に浸みていくようです。
ぺえさんが、「ちょっと深めのブルーだよね」は、正に仰る通りで他にはないブルーなのです。
この湖は【霧の摩周湖】と歌に歌われておりますが、これは「春から夏にかけ周囲の気温は上昇しますが、湖の水温は変わらないため、その温度差で霧が発生するということです。
晴れたかと思うとすぐ曇り、曇ったかと思うと霧が押し寄せて、その都度、水の色も周りも明るく暗くそして悲しく、あるいは怒るがごとく変わり、千変万化と言う言葉は、摩周湖とわたくしのためにある言葉ではないかと思うほどです。
2022年夏には摩周湖の様々な自然の表情を体験できる施設「摩周湖カムイテラス」が改装オープンしました。星空観賞の名スポットとしても知られ、全方向が見渡せる開けた立地で晴れた日の夜には、360度に満天の星を眺めることができます。
併設されている「摩周湖レストハウス」では、手作りの名物「いもだんご」や「摩周ブルー」という水色のソフトクリーム(ほんのりミント味)が人気。缶を温めると摩周湖の写真の霧が晴れる「霧の缶詰(夢とロマン)」などオリジナル商品も多数取り揃えています。
北海道公式観光サイトより
動画をみておりましたら、見慣れない場所がありましたので調べました。
時間のある方は、心ゆくまで摩周湖で過ごすことが出来るのですね。
椅子に座った状態の摩周湖の景観。このように見えるのですね。
ゆっくりとして頂きながら摩周湖のご案内の続きをさせて頂きます。
お天気が良ければ、ご案内よりも見えた事だけで良いのですが、霧の摩周湖と言われておりますように、見えないときも多いので、お話をさせて頂いております。
摩周湖の伝説
作家の林芙美子さんが「ホクロのような」と表現した中の島にまつわる伝説をご紹介しましょう。
昔ある地方のアイヌコタンで激しい戦いがありました。村長のオテナとその一族は隣の村のだまし討ちに合って皆殺しにされてしまいました。
その時、村長の母親であった老婆は息子の忘れ形見である孫を抱きかかえ、闇に紛れて敵の手を逃れらるることが出来ました。
しかし野山をさ迷い歩いているうちに命よりも大事にしていた孫とはぐれてしまったのです。悲しみに暮れながら。その行方を捜し歩いておりましたところ、ある日、屈斜路河畔にたどり着きました。
疲れ果てた老婆は一夜の宿を湖の神様に頼んだのですが、なぜか神様は返事をしてくれません。仕方なく、さらにさすらい続け、たどり着いたのが摩周湖のほとりでした。
今度はここのカムイヌプリ(摩周岳)にお願いしたところ、「いつまでも休むがよい」と快く宿をかしてくれましたので、老婆はこの湖の中で休むことになり、そのまま島になったのです。
ですから今でもこのあたりに人が来ますと、孫が訪ねてくれたのかと思って、うれし泣きに泣くので、その涙が雨や霧になるのだと言い伝えられております。
摩周湖の霧による恋愛成功率他
何それ~~~と驚いた方も多いでしょう。
★初めて摩周湖を訪れた未婚者が見えた場合、霧のかからない晴れた摩周湖を見ると婚期が遅くなります。とご案内しております。ウワサですが、わたくしには覚えがあるような、ないような、です。
★恋人同士で摩周湖を訪れて、霧で湖面が見えなければ関係が長く続くそうです。長く続けばいいの?それともせっかく来た摩周湖が見えた方がいいの?ドキドキですね。
★お金持ちの人が摩周湖を訪れると湖面は霧に閉ざされ、貧乏な人が訪れると湖面は晴れると言われております。確かに、これも思い当たるような、ないような感じです。
★晴れた摩周湖を見ると出世できないらしいです。本当でしょうか?摩周湖を訪れても見えない方が良いのか悪いのか心配になりますね。
平成フラミンゴのRIHOさんとぺえさんとあそぶさん、御一行様はどのような運命になるのでしょうか。バッチリと見えましたからね。
摩周湖あとに、今宵のお宿へ向かう途中、タンチョウがおりまして、「2ショットを取りたい」と言っていました。
タンチョウについては→こちら
北海道のタケノコは笹の子なので、本州のタケノコとは違いますが、お三方のお口に合ったようで良かったです。
今日1日を振り返りつつ、明日の朝食を考えておりまして、選ばれたのは!!
釧路市にある有名な【和商市場】の勝手丼さんに決まりました。
勝手丼と言うのは白米の上の、自分の好きな海鮮を頼んで乗せてもらう自由な海鮮丼です。
動画を見て頂くと分かるのですが、イクラを選ぶ際、お店の方が醤油の釧路産をオススメしております。
北海道ではイクラは醤油漬けと塩があります。
和商市場とは?
JR釧路駅の近くにあります。漁獲高日本一の釧路で、観光客に人気なのが「魚のデパート」和商市場です。
魚屋さんたち85点余りの寄り合いが店舗ですが、水揚げされたばかりの新鮮なサケやイカ、サンマなどが所狭しと並べられ、店員さんたちの威勢のいい掛け声に、お客様もついついお財布のひもをゆるめるそうです。
こうして1泊2日の旅は終わりました
家に帰るまでが遠足と言われますが、わたくしは「家に帰るまでが旅行です。お疲れでしょうけど家の玄関を開けるまでは気を付けてお帰り下さいね。」と申し上げております。
この動画の後に、違う動画が上がっておりましたので安心しております。
また、そう長く間を置かずにいらして下さいませ。
動画のコメント欄も道民の方々から、「来てくれてありがとう」「嬉しい」と言うお声が沢山ありました。
平成フラミンゴのRIHOさん、ぺえさん、あそぶさん、この度はご来道本当にありがとうございました。