木古内町

木古内町

=== 北海道の旅は「木古内駅」から始まる ==========
★平成28年3月26日 北海道新幹線木古内駅開業★
★令和 4年3月26日 函館江差自動車道木古内IC開通★

北海道木古内町の歴史と現代の魅力を発見

皆様、こんにちは!本日は北海道の隠れた宝石、木古内町をご案内させていただきます。この町は、美しい自然と豊かな歴史が息づく場所であり、観光客にとって見逃せないスポットです。

写真提供:土方歳美さん 薬師山・萩山・三十三観音…心和ませる空間

※ご注意 薬師山の芝桜は、冷害や食害が著しいため、植生回復中です。
芝桜を見ることはできませんので、
お知らせいたします。

札苅村上芝桜園

こちらの写真の木古内町札苅地区にある、見逃せない観光スポットをご案内します。ここでは、個人宅による趣味から始まった素晴らしい芝桜園があります。毎年5月上旬になると、その美しさが口コミで広まり、多くの観光客で賑わいます。

この芝桜園は、種類や色の豊富さが特徴で、家主の手によって丁寧に手入れされています。広々とした庭一面に広がる鮮やかな芝桜は、訪れる人々を魅了し続けています。花の美しさだけでなく、その手入れの行き届いた姿は、多くの花好きから高い評価を受けていることでしょう。

また、この芝桜園は道南いさりび鉄道の沿線に位置しており、列車と芝桜のコラボレーションを楽しむことができます。列車が風景に彩りを加える瞬間は、特にカメラ愛好家にはおすすめのフォトスポットです。青空の下、色とりどりの芝桜とともに走り抜ける列車の姿は、忘れられない写真の一枚となること間違いなしです。

皆様、この木古内町の芝桜園へ是非足を運び、その圧倒的な美しさと特別な雰囲気を体験してください。花の見頃は限られていますので、この機会をお見逃しなく!また、撮影の際は素晴らしい景色をバックに、思い出に残る一枚をぜひ撮影してみてくださいね。

それでは、引き続き木古内町の美しい風景と共に、素敵な旅行をお楽しみください!

戦国時代から明治維新を生きた町の歴史と遺産を巡る旅

日本の歴史が色濃く残る北海道の木古内町をご案内します。この美しい町は、戦国時代から明治維新にかけての重要な変遷を経験し、その歴史の深さを今に伝えています。

木古内町の中心部に足を踏み入れると、皆様はすぐにその歴史的な雰囲気を感じ取ることができるでしょう。町には古くからの建築物や、数多くの歴史的な遺産が点在しており、それらは訪れる人々に昔の時代へと誘います。これらの建物は、それぞれが独自の物語を持ち、木古内町の豊かな歴史を今に伝える重要な役割を果たしています。

特に、この地域には江戸時代の商家や武家屋敷の跡が残り、明治時代に建てられた洋館なども見られます。これらの建物を巡るだけでも、木古内町の過去と現在のつながりを感じることができ、まるで時間旅行をしているかのような体験が楽しめます。

咸臨丸の姿を模した約1/5のモニュメント

日本の近代化への重要な一歩となった咸臨丸の壮大な航海についてご案内いたします。この船は、幕末の激動の時代、日本が鎖国から開国へと舵を切る過程で重要な役割を果たしました。

1858年、日本は井伊直弼による日米通商条約締結後、国内では尊皇攘夷派と幕府派の対立が激化。この政治的な背景の中、咸臨丸は日本からアメリカへの使節団を送るための随伴艦として選ばれました。

1860年1月19日、軍艦奉行木村摂津守や勝麟太郎(勝海舟)を含む日本人乗組員96人とアメリカ人11人を乗せた咸臨丸は浦賀港を出港。荒海と疲労、さらには水不足など数々の困難を乗り越え、37日間の航海の末にサンフランシスコに到着しました。到着後は大歓迎を受け、52日間の滞在は乗組員にとって多くのカルチャーショックをもたらしました。

サンフランシスコでの修理と病気の治療を終えた咸臨丸は、再び海を渡り、ホノルルを経由して46日後に浦賀港へ無事帰港。この歴史的な太平洋横断は、日本の近代国家形成の幕開けとして大きな足跡を残しました。

皆様、咸臨丸のこの壮大な航海は、ただの海の旅ではなく、日本が世界に向けて一歩を踏み出した瞬間です。今日この船の物語を聞いて、日本の歴史の一ページを感じ取っていただければと思います。それでは、引き続きこの地の他の魅力もお楽しみください。

◆◆◆詳細はそれぞれリンクを張っています→戊辰戦争箱館戦争木古内口の戦い

「きこないのむかしばなし」

◆◆◆詳細はこちら

これからご紹介するのは、木古内地方に伝わる民話の数々を集めた『きこないのむかしばなし』です。この絵本は平成12年に「絵本サークル・ぐりぐら会」によって編集・発行され、地元の豊かな自然や文化、人々の生活が色濃く反映された物語が収められています。

木古内地方の民話は、海や山などの自然環境と密接に関わる内容が多く、地域の人々が自然と共生する様子や、祭りや年中行事など、地域固有の習慣を垣間見ることができます。また、これらの物語には教訓も込められており、正直や勤勉、家族への愛といった価値を次世代に伝える役割も担っています。

百合子沢のお地蔵さま

百合子沢の山奥で二百年前に地面が割れ、多数のお地蔵さまが現れました。たまたま通りかかった村人が発見し、村へ持ち帰り、三体のお地蔵さまを再構成しました。村人たちはお地蔵さまを大切にし、着物や供え物をして祀りました。ある日、村の火事をお地蔵さまが鎮め、村人たちはお地蔵さまが村を守ってくれたと喜び感謝しました。

キツネにもらったおもち

昔、鶴岡の山奥に住むおじいさんが祝い事で町へ行き、帰りにキツネに出くわした。キツネの宴に招かれ、たくさんのおもちをもらって帰宅したが、実はそれは馬ふんだった。家族に笑われながら、キツネにだまされたことを笑い話にしました。

キツネといっしょに過ごした女の子

昔、願応寺の近くで姉妹が住んでいました。ある日、妹が姉の視界から消え、村人全員で捜索した結果、妹は無事で見つかりましたが、彼女の服にはキツネの毛がついており、不思議な経験をしたことが語られました。

油あげを取られたとうさん

昔、鶴岡で大雪の日、とうさんが油あげを買って帰る途中、キツネにだまされて道に迷いました。とうさんが油あげをキツネに譲ると約束すると、気づけば油あげは消えており、家に帰って妻に叱られる結果となりました。

円空仏の由来

岐阜県出身の円空法師は、修行のために全国を巡りながら仏像を彫り、神社に奉納しました。特に北海道道南地方に多くの仏像を遺し、その数は全国で十二万体にも及びます。円空仏は神社に奉納されるため、それらはお寺ではなく神社で祀られることが多いです。

【支笏洞爺国立公園:洞爺湖編】の中島の詳細の観音島にも円空上人のお話が少し出てきます→こちら

神のお告げと火事

釜谷で強風の日、若者たちが鹿の肉を神社で調理している最中に火花が飛び火事になりました。町から帰ってきた氏子総代に神様が「我が社を守った」と告げた。氏子総代が戻ると、神社は焼失していたが、その周辺の地域は無事だったため、村人たちは神の保護に感謝しました。

木古内の湯殿山

木古内に住む茂泉家のおばあさんが、青森県出身で湯殿山の神さまを分けてもらい、地元の神社で祀り始めました。毎年9月15日にはお祭りが行われ、多くの人々が湯殿山の神さまのご利益を求めて参拝しています。

あまばんの由来

70年前に釜谷の海岸に巨大なあまばんが打ち上げられました。地元のイタコがこれを見つけ、「安産の神さま」として地元の神社に祀ることを勧め、漁師たちはそれを神社に奉納しました。その後、あまばんは風化して小さくなりましたが、今も神社に奉納されています。

更木の鼻なし地蔵

更木岬の沖で船が座礁し、その原因をお地蔵さまに求めた船頭が地蔵を破壊しようと斧で振り下ろしましたが、地蔵の鼻が少し欠けただけで、それ以降「鼻なし地蔵」として知られるようになりました。現在でもその地蔵は地元の公園に存在しています。

人の名前をよぶキツネ

昔、更木に住む夫婦がいました。旦那さんが漁から帰るといつも「タカ、タカ」と奥さんを呼んでいました。ある朝早く、同じように名前を呼ぶ声が聞こえたが、奥さんが戸を開けると誰もいませんでした。実は近くのキツネが旦那さんの声まねをしていたのでした。

更木にあらわれたキツネ

更木のさきでよくキツネが出るとされる地域で、地元の姉妹が学校から帰る途中に見知らぬ若い男に惹かれ、ついて行ったが、突然男が消えてしまいました。二人はまるでキツネにだまされたかのように不思議な経験をしたとされます。

追いつかない自転車

40年前のある秋の夕方、釜谷に住む父さんが急ぎの買い物で自転車で泉沢の店へ行きました。帰り道で前の自転車に追いつこうとしましたが、どれだけ頑張っても追いつけず、後にそれがキツネにふりまわされたことが判明しました。

おどる さんこキツネ

100年前のことで、町で用事をすませたおばあさんが帰宅途中、大平橋で手ぬぐいでほうかぶりをしたネコが踊っているのを見ました。これを村人たちに話し、多くがその場所へ来ましたが、実際にはネコではなく、キツネだった可能性が高いです。夢中で踊っていたネコは人々に気付かれると消えてしまいました。

真夜中におきて ごはんをたいた父さん

更木の山奥で炭焼きをしているとうさんが、一晩中寝たと思って起きてごはんを炊いたのに、外はまだ真っ暗でした。実はキツネの声真似にだまされていたことに気づき、その後家に窓をつけることにしました。それ以降、キツネにだまされることはありませんでした。

不思議な火事

戦後間もない頃、泉沢で家族が長いも掘りに勤しんでいた時、空が赤く燃えるように見え、火事と思い込んだ。しかし、現場に急いでも火事の痕跡はなく、最終的には火の光も突如消え去りました。後でキツネの足跡が多数見つかり、人々はキツネの仕業だと結論付けました。

とうきび畑できえたごちそう

木古内の前浜で大漁だった日、お祝いの席でとうさんは食べ過ぎてふらふらと帰宅した。しかし、途中で立ち寄った女性の家で眠り込み、目覚めたときにはとうきび畑で寝ており、ごちそうはすべて消えていました。とうさんはキツネにだまされたと悟りました。

いやしいキツネ

札苅から木古内にかけてゆたかそばと魚を売り歩いていた男性が蛇内でキツネに遭遇し、声も出せず動けなくなった。キツネが去った後、男性は動けるようになったが、荷物がすべて消えていたことに気づきました。これ以降、男性はキツネにだまされないよう気を付けることを決意しました。

キツネの嫁入り

薬師山でキツネの嫁入りとされる行列が見られたことがある。あかりが次々と現れ、美しい景観を作り上げるが、いつの間にか消え去ってしまう。これはキツネが大勢で行列をなしている様子を表していると考えられています。

イワシをだましとられた娘さん

佐女川神社近くでお手伝いをしていた娘が、イワシをたくさんもらったが、神社の前でキツネにだまされ、ずっと同じ場所をぐるぐる回ってしまった。最終的にイワシはすべて消えてしまいました。この出来事は、キツネが関わっているとされています。

さんこキツネ

札苅でよくイワシがとれる時代、木古内に住むとうさんがイワシを買いに行きましたが、帰り道で美しい女ギツネにだまされ、最終的には馬ふんを食べさせられるなどしていた。これはさんこキツネと呼ばれるキツネによるもので、多くの人が被害を受けました。

木古内の坊

明治時代初期、木古内に住む友吉という若者がいました。彼は目が不自由ながらも家族を支えるために毎日村や漁場でつけ木を売り歩きました。彼の親孝行な行いが評判となり、「木古内の坊」として町中から愛されました。43歳で亡くなった友吉のために、地元の人々はお墓を建てました。その後、大阪の富豪家に生まれた男の子が、友吉の生まれ変わりとされ、彼の墓の土を手に塗ったところ、固く閉じた手が開いたと言われています。その子は後に富豪として幸せな生活を送りました。この話は、木古内で語り継がれる感動的な伝説の一つです。

※春、松前城の桜を見るツアーの際は、木古内の坊のお話と下の子持ち石のお話をさせて頂いておりました。

子持ち石

昔、子供に恵まれなかった札苅の女性が、夢枕に現れた老人から裏山の大木の下を掘るよう告げられました。掘り出した石を神社に納めたところ、石に小石が増え、女性は間もなく子供を授かりました。この奇跡の話が広まり、「子持ち石」として知られるようになり、子供を願う人々が神社を訪れるようになりました。毎年、安産を祈願する祭りが行われています。

幽霊とにおうの花

中野の橋の近くで幽霊が出ると信じていたおばあさんが、夕暮れに家に帰るのが怖くなりました。ある日、男性に送ってもらうことにし、幽霊が出るとされる場所を指さしましたが、そこにはにおうの花が風に揺れているだけでした。男性により、幽霊ではなく白い花だったことが明かされ、おばあさんの誤解が解けました。

薬師山の三本杉

木古内に住むアイヌの家族が悲劇に見舞われ、海に出た夫と息子が帰らず、心配した妻も後を追って海に身を投げました。この家族を悼んで、薬師山に三本の杉が植えられました。不思議なことに、これらの木の根が結びついて、一つの根から三本の幹が生えるようになりました。この木は「薬師山の三本杉」として親しまれています。

これらの物語はそれぞれ、希望、誤解、そして哀しみといった人間の感情が織り交ぜられて語り継がれています。それぞれが地域に根ざした文化や信仰の大切さを象徴しています。

北海道新幹線ビュースポット

北海道新幹線から青函トンネル方向へ約3キロメートルの地点、高さ約4メートルの新幹線ビュースポットがあります。山間を抜ける直線の線路を走る新幹線車両を見ることができます。

かつて青函連絡船が活躍した時代から、青函トンネルの完成、そして千歳空港が新千歳空港へと変わり、高速道路網が拡がる中、北海道新幹線が北斗市まで開通しました。これにより、木古内町は新しい観光の拠点として注目を集めています。

特にこの町は、新幹線が美しい山間を抜ける姿を見ることができるビュースポットがあり、多くの観光客や写真愛好家が訪れる場所となっています。そして、木古内町を訪れた際には、木本様おすすめの地元で有名なじゃがいもアイスをぜひお試しください。このアイスクリームは地元産のじゃがいもを使用しており、そのユニークな味わいは訪れた人々に新たな驚きを与えています。

皆様、木古内町は新旧の交通が織り成す歴史と、地元の美味しいグルメが楽しめる場所です。新幹線の素晴らしい眺めとともに、地元ならではの味を堪能し、北海道の豊かな自然と文化を心ゆくまでお楽しみください。それでは、木古内町での素敵な体験をお楽しみに!

北海道新幹線ビュースポット・北海道新幹線から青函トンネル方向へ約3キロメートルの地点、高さ約4メートルの新幹線ビュースポットがあります。山間を抜ける直線の線路を走る新幹線車両を見ることができます。

住所:木古内町字建川39-4
入場料:無料
駐車場:有り(4台)

サラキ岬チューリップ園

木古内町のサラキ岬にご案内いたします。ここでは、春の訪れとともに、見事なチューリップ花園が皆様をお迎えします。この美しいチューリップ園は、かつてこの地で終焉を迎えた歴史的な船、咸臨丸を讃えるために始まりました。

サラキ岬のチューリップ花園の起源は、咸臨丸がここ木古内のサラキ岬に沈んだことを知ったオランダ北海道人会の前会長、松本善之氏の提案によります。彼は「咸臨丸終焉の地に誕生の地であるオランダの国花を植えてほしい」と願い、チューリップの球根が贈られたのです。その結果、この地には約60種類、5万球ものチューリップが植えられ、毎年4月から5月にかけて、春のそよ風とともに咲き誇ります。

今では、多くの訪問者がこの美しい景色を求めてサラキ岬を訪れます。チューリップの鮮やかな色彩が岬の緑と海の青と調和し、息をのむような景観を生み出しています。訪れた皆様には、この場所の歴史的背景とともに、花々の美しさを心ゆくまでお楽しみいただければと思います。

サラキ岬のチューリップ花園への訪問は、春の北海道を象徴する絶好の機会です。この地の歴史を感じながら、色とりどりのチューリップが織りなす圧倒的な美しさをぜひご体験ください。それでは、サラキ岬での素晴らしいひとときをお楽しみください。

木古内町のアクセス


●飛行機・バス・鉄道

羽田空港~ 函館空港 約80分
中部空港~ 函館空港 約85分
伊丹空港~ 函館空港 約95分

函館空港~(バスで函館駅前 約20分)~函館駅(JR 約20分)~新函館北斗駅(新幹線 約13分)~木古内駅
函館空港~(バスで函館駅前 約20分)~函館駅(道南いさりび鉄道 約60分)~釜谷駅/泉沢駅/札苅駅/木古内駅

●新幹線
東京駅〜約90分~仙台駅~約100分~新青森駅~約50分~木古内駅
新函館北斗駅~約13分~木古内駅

●路線バス
函館駅前~木古内駅前 約90分
松前町~木古内駅前 約90分
江差町~木古内駅前 約80分

●木古内駅/レンタカー
タイムズカーレンタル、駅レンタカー

写真、引用文は木古内町産業経済課商工観光創生室の許可とご協力を得ております。

木古内観光協会こちら

木古内町ホームページこちら

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