神威岬

神威岬

神威岬の位置

北海道積丹半島観光ガイド:美しい自然と絶景の神威岬

北海道の最西端、絶景で知られる積丹半島には、北緯43.1683度、東経140.8067度に位置する神威岬があります。この地点は、北海道で最も西に位置する岬として、自然愛好家や写真家から注目されています。

積丹半島の見どころとアクティビティ

  • 積丹ブルーの海岸線:積丹半島は、「積丹ブルー」と称される鮮やかなブルーの海が特徴です。神威岬や島武意海岸など、息をのむような美しい景観を楽しむことができます。
  • シュノーケリングとダイビング:透明度の高い海は、シュノーケリングやダイビングの絶好のスポットです。積丹半島の海では、カラフルな魚や珊瑚の美しさを間近で体験できます。
  • 新鮮な海の幸:積丹半島は、ウニやカニ、イカなど、豊富な海の幸で有名です。ここでしか味わえない新鮮なウニは、訪れた人々にとって必食のグルメです。
  • 自然散策とハイキング:積丹ブルーを背景にしたハイキングコースは、自然の美しさを感じながら散策できる絶好の場所です。神威岬へのトレッキングは、積丹半島訪問のハイライトの一つとしておすすめです。
  • 地元の観光スポット:積丹海洋深層水を使用した商品や地元の工芸品を販売するショップなど、訪れる人々を魅了する多彩なスポットがあります。

積丹半島での体験は、アイヌ語で「夏の集落」を意味する「積丹」と、アイヌ民族が神聖視する「カムイ(神)」の岩が語る歴史の物語を感じながら、北海道の美しい自然と文化に触れる絶好の機会です。

アイヌの伝説と源義経

北海道の伝説を巡る:源義経と積丹半島の物語

北海道の積丹半島は、息をのむような美景と共に、日本史に残る伝説的英雄、源義経の物語が息づいています。特に、積丹岬にそびえ立つ女郎子岩は、源義経伝説の舞台として知られ、多くの旅行者を魅了しています。

源義経とアイヌの娘シララの悲恋

伝説によれば、源義経は奥州の戦いに敗れた後、蝦夷地へと渡り、積丹に落ち延びました。ここで出会ったアイヌの娘シララとの間に生まれた恋物語は、多くの人々の心を今も捉えて離しません。義経が旅立った後、シララは断崖から身を投じ、その悲しみが女郎子岩に姿を変えたと伝えられています。

北海道平取町にある義経神社

北海道には、源義経にまつわる伝説が30以上も残されており、その中心には平取町にある義経神社があります。この神社は、義経と彼の伝説を今に伝える重要な場所です。

北海道の義経伝説は、アイヌ文化との深い関連を持っています。伝説に登場する英雄の話は、アイヌ神話のオキクルミやヌマサマイクルに似ており、文化間の交流の証とされています。また、地名に見られる「ペンケ」「パンケ」は、アイヌ語で「上」「下」を意味し、弁慶との関連も指摘されています。

神威岬と女人禁制の伝説

神威岬を通過しようとする際、舟子たちは長年の伝統と信仰に従い、進むことを拒否しました。

松前藩は、女性が日本海に面した神威岬(積丹半島突端)から先へ北上することを固く禁じておりました。

その理由の一つは女性を乗せた船が、神威岬の沖合を通ると、その船は必ず沈むというアイヌの人々の伝説を信じていたからです。

忍路高島(おしょろたかしま)お呼びもないが せめて 歌棄(うたすつ)磯谷(いそや)まで 恨みあるかよ お神威様は なぜに 女の足止める

民謡『江差追分』より

忍路(おしょろ): 現在の北海道小樽市に位置します。忍路は小樽市の西部、日本海に突き出した忍路半島とその基部に位置する地域です。
高島(たかしま): 現在の北海道小樽市に位置します。忍路の近くにあり、かつてはニシン漁で栄えた地域です。

歌棄(うたすつ): 現在の北海道寿都郡寿都町に位置します。江差追分の歌詞にも登場し、歴史的な地名です。
磯谷(いそや): 現在の北海道寿都郡寿都町に位置します。

つまりは小樽までは行くことが出来ないのは仕方がないが、せめてその手前まででも愛しい人について行きたい、この歌詞全体を通じて、行きたい場所に行けない悲しみや、叶わぬ願いに対する嘆きが表現されています。

江差追分は、こうした感情を情緒豊かに歌い上げることで、多くの人々の共感を呼んでいます。

梨本夫妻の勇気ある挑戦

1855(安政3)年、幕府は松前藩による蝦夷地の支配を終わらせ、直轄地としました。この大きな変革の一環として、翌年には梨本弥五郎(なしもと やごろう)が妻子と共に宗谷への赴任が決定しました。

しかし、そのおきてを廃止するというお達しがでると、早速、迷信を打ち破り妻を従え神威岬沖を通過した勇気ある人物がいました。

彼の名前は梨本弥五郎は、箱館奉行のお役人で、特別身分が高かったわけではありませんが、なかなか大胆な人物だったようです。

宗谷に赴任することが決まった弥五郎は、妻子とともに船に乗り込み神威岬沖を通行しようしたわけですが、必ず災いがあると信じる舟の漕ぎ手達を励まし、荒れ狂う海の彼方にそそり立つカムイ岩に向かって

「国君(くにきみ)いま辺土を開かんとす。何の神あってかこれを阻止せん」と叫びながら、無事通過しました。

この勇気ある弥五郎夫妻の行動は、後に続く女性の航海を自由にしたばかりでなく、北方開発の引き金にもなり、神威岬以北の繁栄へと繋がりました。

この時代においても特別な地位にあったわけではありませんが、彼の決断は歴史を変えるものでした。

この行動により、彼の家族は無事に岬を通過し、【初めて宗谷に到着した和人女性】となりました。

弥五郎の家族:竹子(妻)敏子(娘)美那子(養女)覚蔵(息子)

神威岬の女人通行解禁は、その後の和人による定住の加速に大きく貢献し、特に余市・小樽地方では人口増加が顕著となりました。

神威岬周辺の海が落日に染まる様子は、まるで絵画のような美しさを放っています。

当ブログの【北海道と本州の住宅事情の違い:屋根材から暖房設備までの進化と工夫】の→こちらに梨本弥五郎の偉業の続きを書いています。

アクセス

積丹半島へのアクセスは、札幌市内から車で約2時間半です。公共交通機関を利用する場合は、バスが便利ですが、4月下旬から10月下旬まで北海道中央バス「積丹神威岬」行きの便が札幌駅、小樽駅前から運行されます。時間をよく確認しておく必要があります。美しい自然と新鮮な海の幸を楽しむことができる積丹半島は、北海道を訪れる際にぜひ立ち寄りたいスポットの一つです。 神威岬の先端へは駐車場、バス停から遊歩道(チャレンカの小道)700mを歩いて20分ほど。荒天候時には遊歩道のゲートが閉鎖されることもあります。

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